前回(→こちら)の続き。
「本食堂」「経商食堂」「法文食堂」「社学食堂」と実に4つの食堂を擁する我が千里山大学(仮名)。
味も値段も大同小異だったこの四天王に、大きな変革がおとずれた。「経商食堂」が取り壊されることとなったのだ。
なんとまあ、気の毒に。では経済学部と商学部の学生はどこでご飯を食べればいいのかという話だが、食堂を別途また作るのだという。
で、数か月後に新しくできた経商食堂を見ておどろいた。
そこにあったのは、めちゃめちゃきれいで明るい建物だったのである。名前も「経商カフェテリア」とモダンなものになっていた。
メニューの方も充実していた。
我が法文食堂にはないカキフライや甘辛チキン南蛮などがあり、女の子向けのヘルシーなサラダなどもある。
ゴハンはアツアツで、なんとみそ汁には具が入っていた。
我が法文食堂のみそ汁は、そんなよけいなものなど混入していないエコ仕様だった。ハシでお椀をつつきながら、だれかが「おい、ソナーを持ってこい!」と、さけんでいたのが聞こえたほどだ。
そこを経商カフェテリアは、具が無いどころか、豚汁やけんちん汁なんてのも販売されている。大盛もOK。お前らは、どこの国の特権階級サマや!
食堂を失った彼らを嗤うべく、地獄坂をわざわざくだってきた我々文学部偵察隊は、これに大いなる衝撃と嫉妬を覚えた。
ただでさえ卒業が比較的容易なうえ雰囲気も明るい、経済・商両学部にルサンチマンをいだいている学生が多い我が学部である。
そのうえさらに、彼らのアドバンテージが増えるところなどゆるされてはならない。
特に商学部など「らく商学部」「あそびま商学部」などと呼ばれるほど、いつも女の子を連れて、合コンだ春はテニス冬はスキーだと楽しそうなところなのだ。
はっきりいってチャラい。われわれが『若きウェルテルの悩み』みたいな辛気臭い本の原書を、辞書片手にコツコツ読んでいる横で、夜の飲み会の相談をしてやがる。
まさに「仮想敵国」である。МN爆弾でも落としたろうかしらん。
まあしかし、それも法文食堂が改装されるまでのこと。ウチらの学食も遺跡レベルの古さとボロさをほこっていたから、こちらもきっとキレイになることだろうと皮算用していたら、あにはからんや、そこにこんな情報が。
「経商以外の食堂改築予定はなし」
な、なんということか。我々はどうなる。無視か。
経商の連中が、王様のような食事をしている中、ワシらは掘っ立て小屋で「終戦直後」みたいなメシ。
これでは完全に「二等国民」あつかいではないか。このような暴挙が許されていいのか。ふざけるな。経済と商ゆるすまじ。万国の労働者よ団結せよ。やつらを高く吊るせ!
これまで、貧しいながらもつつましく暮らしていた我々だったが、嗚呼、格差社会というのは、かくも憎しみを生み出すのである。
「小さいながらも、楽しい我が家」。もう、あの幸福な時代には戻れないのだ。
そこで決然と立ち上がった私は、法学部の友人ヤマダ君と、キャンパスから隔離された場所にあるうえ校舎が最もきたなく雰囲気も暗い「三等国民」社会学部のトヨツ君を招集。
経商包囲網を布くため彼らと法文社三国同盟を結成。「四民平等」「五族共和」の旗印の下、経商カフェテリアへと進駐した。
そこで我々は
「ドリンクのみで長々と席を占領する」
「食べるときに不快な音を立てる」
「ごちそうさまをいわない」
「女子学生の隣にすわり、大声で猥談をする」
などといったレジスタンス活動を行った。人は衣食足りないと、礼節などへっぽこのぷーなのだ。我々にも、具の入ったみそ汁を!
我々は「文学部ウザ!」「社学部キモ!」との、ヒンシュクの目にひるむことなく、勇猛果敢に戦ったが、残念ながらキッチンからの
「あんたら、少し静かにしなさい!」
の一言により、無念の撤退を余儀なくされたのであった。
嗚呼、われら勇気ある戦士も、元気印なパートのおばちゃんにはかなわないのである。いつも、おいしいゴハンをありがとう。私はチンジャオロースーが好きです。
それにしても、あの時は本当にねたましかったものである。
我々は坂の上で、ぬくい墨汁のようなコーヒーを飲みながら、そうかあ、共産主義ってこういうところから生まれたんやなあと、はからずも勉強になったものであった。
こんな思い出があるため、東海林さんの「おいしい学食ゆるすまじ」という怨念には、非常なる共感を覚える。
今でも大学の話で、「経済学部です」「商学部です」って人に会ったら、つい「敵、発見!」って気分になるものなあ。
お前ら、遊びまくりで、うまいメシまで食いやがって! と。
まこと、食い物の恨みと私の人間の小ささはおそろしいのである。
「本食堂」「経商食堂」「法文食堂」「社学食堂」と実に4つの食堂を擁する我が千里山大学(仮名)。
味も値段も大同小異だったこの四天王に、大きな変革がおとずれた。「経商食堂」が取り壊されることとなったのだ。
なんとまあ、気の毒に。では経済学部と商学部の学生はどこでご飯を食べればいいのかという話だが、食堂を別途また作るのだという。
で、数か月後に新しくできた経商食堂を見ておどろいた。
そこにあったのは、めちゃめちゃきれいで明るい建物だったのである。名前も「経商カフェテリア」とモダンなものになっていた。
メニューの方も充実していた。
我が法文食堂にはないカキフライや甘辛チキン南蛮などがあり、女の子向けのヘルシーなサラダなどもある。
ゴハンはアツアツで、なんとみそ汁には具が入っていた。
我が法文食堂のみそ汁は、そんなよけいなものなど混入していないエコ仕様だった。ハシでお椀をつつきながら、だれかが「おい、ソナーを持ってこい!」と、さけんでいたのが聞こえたほどだ。
そこを経商カフェテリアは、具が無いどころか、豚汁やけんちん汁なんてのも販売されている。大盛もOK。お前らは、どこの国の特権階級サマや!
食堂を失った彼らを嗤うべく、地獄坂をわざわざくだってきた我々文学部偵察隊は、これに大いなる衝撃と嫉妬を覚えた。
ただでさえ卒業が比較的容易なうえ雰囲気も明るい、経済・商両学部にルサンチマンをいだいている学生が多い我が学部である。
そのうえさらに、彼らのアドバンテージが増えるところなどゆるされてはならない。
特に商学部など「らく商学部」「あそびま商学部」などと呼ばれるほど、いつも女の子を連れて、合コンだ春はテニス冬はスキーだと楽しそうなところなのだ。
はっきりいってチャラい。われわれが『若きウェルテルの悩み』みたいな辛気臭い本の原書を、辞書片手にコツコツ読んでいる横で、夜の飲み会の相談をしてやがる。
まさに「仮想敵国」である。МN爆弾でも落としたろうかしらん。
まあしかし、それも法文食堂が改装されるまでのこと。ウチらの学食も遺跡レベルの古さとボロさをほこっていたから、こちらもきっとキレイになることだろうと皮算用していたら、あにはからんや、そこにこんな情報が。
「経商以外の食堂改築予定はなし」
な、なんということか。我々はどうなる。無視か。
経商の連中が、王様のような食事をしている中、ワシらは掘っ立て小屋で「終戦直後」みたいなメシ。
これでは完全に「二等国民」あつかいではないか。このような暴挙が許されていいのか。ふざけるな。経済と商ゆるすまじ。万国の労働者よ団結せよ。やつらを高く吊るせ!
これまで、貧しいながらもつつましく暮らしていた我々だったが、嗚呼、格差社会というのは、かくも憎しみを生み出すのである。
「小さいながらも、楽しい我が家」。もう、あの幸福な時代には戻れないのだ。
そこで決然と立ち上がった私は、法学部の友人ヤマダ君と、キャンパスから隔離された場所にあるうえ校舎が最もきたなく雰囲気も暗い「三等国民」社会学部のトヨツ君を招集。
経商包囲網を布くため彼らと法文社三国同盟を結成。「四民平等」「五族共和」の旗印の下、経商カフェテリアへと進駐した。
そこで我々は
「ドリンクのみで長々と席を占領する」
「食べるときに不快な音を立てる」
「ごちそうさまをいわない」
「女子学生の隣にすわり、大声で猥談をする」
などといったレジスタンス活動を行った。人は衣食足りないと、礼節などへっぽこのぷーなのだ。我々にも、具の入ったみそ汁を!
我々は「文学部ウザ!」「社学部キモ!」との、ヒンシュクの目にひるむことなく、勇猛果敢に戦ったが、残念ながらキッチンからの
「あんたら、少し静かにしなさい!」
の一言により、無念の撤退を余儀なくされたのであった。
嗚呼、われら勇気ある戦士も、元気印なパートのおばちゃんにはかなわないのである。いつも、おいしいゴハンをありがとう。私はチンジャオロースーが好きです。
それにしても、あの時は本当にねたましかったものである。
我々は坂の上で、ぬくい墨汁のようなコーヒーを飲みながら、そうかあ、共産主義ってこういうところから生まれたんやなあと、はからずも勉強になったものであった。
こんな思い出があるため、東海林さんの「おいしい学食ゆるすまじ」という怨念には、非常なる共感を覚える。
今でも大学の話で、「経済学部です」「商学部です」って人に会ったら、つい「敵、発見!」って気分になるものなあ。
お前ら、遊びまくりで、うまいメシまで食いやがって! と。
まこと、食い物の恨みと私の人間の小ささはおそろしいのである。