ラリー・コリンズ&ドミニク・ラピエール『さもなくば喪服を』を読む。
コリンズとラピエールといえば負け戦が濃厚になり、やけっぱちになったアドルフ・ヒトラーの、
「撤退時には、パリに火を放って廃墟にしたったら、ええんちゃうんけ!」
といった無茶な命令と、それを受け、任務と倫理の狭間で苦悩するドイツ将校の揺れを書いた、ヨーロッパ戦線版『日本のいちばん長い日』ともいえる『パリは燃えているか』が有名だが、もうひとつの代表作といえばこの作品。
なんといっても、あの沢木耕太郎さんが、
「僕が読んだノンフィクションの中で最も素晴らしい作品のひとつだと思います」
絶賛したことでも知られているのだ。
まず出だしからして激シブである。
「泣かないでおくれ、アンヘリータ、今夜は家を買ってあげるよ。さもなければ喪服をね」
目の肥えた読者を引きつけるにも十分なインパクトあるセリフで幕を開ける、この物語の主人公はマヌエル(マロノ)・ベニテス、通称「エル・コルドベス」(訳すなら「ザ・コルドバ人)というスペインの闘牛士。
ヘミングウェイの小説などで有名な、スペインの内戦時代に生を受けた彼は、
「闘牛士になって、いい生活をしたい」
その夢と野望だけを胸に、仲間と極貧の放浪生活を送り、様々な運命に翻弄されながら、ついにはスペインでもっとも有名、かつ金をかせげるスーパースターにまで昇り詰める。
二人の作者は、エル・コルドベスの一世一代の晴れ舞台となるマドリードでのデビュー戦の模様と、彼の生い立ちから闘牛士としての名声を得るまでの過程を、波乱のスペイン現代史とクロスオーバーさせながら同時進行で語っていく。
これがなんとも熱くて、ページをくる手が止まらない。
物語の骨格としては、貧乏な青年が根性と才能だけを武器にチャンスを求めてさまよい歩き、ついには幸運を手にするというシンデレラ・ストーリー。
舞台や主人公の泥臭さからいえば、どちらかといえば日本的な「成り上がり」という言葉の方が似合いそうだが、この俗っぽい言葉がたまさか時代とシンクロすると、歴史のうねりに影響を与えることとなる。
19世紀後半から20世紀にかけてのスペインは、はっきりと後進国だった。
各種技術の発展に民主主義と資本主義をうまく融合させ、現代的国家としての繁栄を得る英仏独など北側諸国と比べて、当時のスペインはいかにも見劣りした。
ピレネーという壁に閉ざされたイベリアの大国は、いまだ富を独占する大地主や、人権意識の低さ、厳格なカトリックの教義による息苦しさなど、発展を阻害させるものには事欠かなかったのだ。
エル・コルドベスが台頭した時代は、まさに内戦で破壊されたスペインとスペイン人の心が、少しずつ変わっていき、それでもまだテイクオフできない歯がゆさや憤懣、これから新しい時代を築こうとする意志や希望が混じりあった、まさしくもっとも「ホット」なころだった。
もともと闘牛はスペインの国技ともいえる競技だが、その熱気と彼の戦いぶり、そしてなにより生まれ変わりつつある「新生スペイン」の歩みとが絶妙に混じりあい、エル・コルドベスは国の代名詞ともいえるほどの象徴へと祭り上げられる。
まさにスター誕生の瞬間であり、時代というのはスターなくともなんの呵責もなく進んでいくが、スターの方は時代とのシンクロなしではありえないことを、今さらながらに思い知らされる。
ひとりの人間と、ひとつの国が「激動と変化」という共通項によって、見事な物語のハーモニーを生み出す。
その筆さばきに圧倒されること間違いなし。そら、耕太郎も絶賛するはずや、と。
またこの本は、主人公の劇的な物語もさることながら、当時のスペインの臨場感あふれる描写がすばらしい。
特にマロノの生まれたアンダルシア地方のそれは、あたかも映画の1シーンのように、その乾いた光景が目に浮かぶようなのだ。うますぎるよ。
沢木さんはこの本を、スペイン旅行中に読んだそうだが、それはそれはきっと幸せな読書体験だったにちがいない。
あともうひとつ、この本の大きな魅力は、なんといっても書名であろう。
『さもなくば喪服を』。
なんという見事なタイトルであろうか。
この響きだけで、あんたらもう勝ったも同然だってばさ。