前回(→こちら)に続いて、替え歌の話。
替え歌というのは楽しいが、同時に呪縛力もすごい。
一度でも変な歌詞がインプットされてしまうと、もう元の歌詞では歌えなくなってしまうこともあり、注意が必要だ。
フランツ・シューベルトの「軍隊行進曲」が、ファミコンゲーム『チャレンジャー』の一面のBGMにしか聞こえなくなったり。
日本中で愛される「たぬきのきんたま」が、実のところ元ネタは荘厳な宗教音楽だったりと、一度すりこまれてしまったら、もう
「あのころの自分には戻れない」
そこで前回、ベートーヴェンの第九と、カップうどん「どん兵衛」のコラボ(?)について語ったが、もうひとつ強烈な印象を残した替え歌というのがコレ。
「ロッキーのテーマ」
『ロッキー』といえば、今さら説明するまでもなく、シルベスター・スタローン主演の映画。
無名のボクサーくずれであるロッキーが、再起をかけて戦うストーリーもさることながら、この作品を後世に残す要素に、あのテーマソングがある(→こちら)。
パパーパー、パパーパー。
名曲であり、ボクサーのみならず、気合いを入れるために聴く映画の曲としては、『地獄の黙示録』のヴァーグナーと双璧を為すであろう。
ちなみに私はヴァーグナー派。ボンクラはなぜかヴァーグナーが好き。パンパパパーパーパンパパパー。
そんな名曲ロッキーだが、はじめてこの曲と出会ったのは、映画ではなく、おもしろコントであったところが不幸のはじまり。
大阪で年末に放映していた『朝まで働けダウンタウン』という番組で、今田耕司さんと東野幸治さんが組んでコントをするというコーナーがあったんだけど、その「Wコージ」が披露したネタというのが、「ロッキーのテーマ」。
そこで二人は、合唱隊の皆さんとともに、あの名曲を替え歌にするのだが、その歌詞というのが、
エイドリアンはブサイク
いつも毛糸の帽子
だけど彼女はフランシス・コッポラの妹
それでもヒロイン
ロッキーの恋人
そんな彼女はフランシス・コッポラの妹
Youtubeなどでも、残念ながら見つからなかったんだけど、これがもう、はじめて聴いたとき、腹をかかえて笑ってしまった。
これは、実際に耳にしてみないと、なかなか、わからないかもしれない。
だまされたと思ってみなさまも、ロッキーのテーマにのせて、何回か歌ってみてください。そのメロディーとのハマりっぷりがわかります。
エイドリアンはブサイク、いつも毛糸の帽子、「ほっといたれよ」という話である。
まあたしかに、あのタリア・シャイアの貧乏くさ……もとい生活感あふれる雰囲気があるからこそ、あの「エイドリアーン!」というギャグも生きるわけだが(あれはギャグじゃないって)。
さらに悪かったのが、これに大ウケした私だけでなかったこと。
クラスの悪友たちも、やはりこの替え歌に爆笑し、
「おい、年末のダウンタウン見たか」
「今田東野のコント、めっちゃ笑ったなあ」
などと報告しあい、冬休み中、遊びに行くといえば皆で
「えいどりあんは~」
と歌いまくったのである。インプリンティング完了。
こうなると、もうオチはおわかりであろう。
私が映画にハマって、洋の東西を問わず見まくることになるのは20歳くらいのことであったが、その中にもちろんのこと、『ロッキー』も存在した。
本来なら、『ロッキー』はそのハングリーさからいって、島本和彦『アオイホノオ』のモユル君のごとく、男の燃える魂を、ガンガンと打つはずであった。
嗚呼、だがあにはからんや。私の脳には、すでにあの替え歌がインプットされている。
おかげで、ロッキーのロードワークのシーンも、リング上で見せる不屈の闘志も、
「そこや、ロッキー、がんばらんかい!」
感情がグッと高ぶった瞬間、頭の中に流れるのは
「えいどりあんは~ぶさいく~」
これでは、どんな感動的なシーンも腰砕けである。
ロッキーとエイドリアンの、素朴で不器用な愛のシーンでも、
「いつも~けいとのぼ~し~」
だめだあ! 全然感動できない。もうトホホのホである。
かくのごとく、私は替え歌の影響力により、一本の映画から感動を奪われた。まさに「映画が盗まれている」。
もしかしたら、ここをお読みの方の中には『ロッキー』を未見で、かつ素直にも私の言う通りにあの歌詞を5、6回歌ってしまった、という人がおられるかもしれない。
だとしたら、もうあなたは爆笑することなく、あの映画を観ることはできません。
それほど、この替え歌は強烈。ご愁傷様としかいいようがない。