「観る将」と「指す将」 実戦心理が妄想できれば、将棋観戦の楽しさ爆上がり!

2021年06月05日 | 将棋・雑談

 「【観る将】の人が、たまには実戦も指すようになったら、もっとブームが盛り上がるかもね」


 なんてことを言ったのは、将棋ファンの友人、ミクニ君と電話していたときであった。

 事の発端は、昨今の将棋ブームですっかりメジャーになった

 「観る将

 と呼ばれる人たちについて、話していたとき。

 「観る将」とは、自分で将棋を指さず、観戦専門に楽しむということ。

 しかも最近の新しいファンは、将棋の内容がわからなくても、棋士のキャラクター食事また将棋界の独特の価値観など、盤上以外諸々を楽しむという人も多く、その視野の広がりは「ブーム」の特産物と言えるかもしれない。

 そういう、これからどんどん増えてほしい《観る将》だが、私やミクニ君のような古参ファンからすれば、ひとつアドバイスしたいのが、

 


 「《観る将》の人も、ためしに実戦もどうですか?」


 

 と言ってみると、《観る将》側からは、

 


 「うーん、実戦は敷居が高いかも」

 「指しても、きっと弱いし……」

 「観てるだけでも、十分楽しいからね」


 

 ためらう声は多いだろう。

 そこを「よけいなお世話」と理解しながら、それでもすすめてみる理由はなにかと問うならば、まず単純に実戦は楽しい

 それともうひとつ、というか、実はこっちが結構メインな理由なんだけど、《観る将》の人に実戦をすすめるのは、

 


 「自分も指してみると、絶対に観戦が、よりおもしろくなるから」


 

 かくいう私自身が実は、そんなに指さないタイプのファンだからこそ、ここは経験的にも強く推せるところで、それは

 

 「盤面の意味が、より深く理解できるようになる」

 

 という直接的な理由とに加えて、もう少し感覚的なこと。

 たとえば、観戦していて、解説のプロや女流棋士が、こんなことを言うことがありませんか?

 


 ★「いやー、ここで手番を渡されると、頭をかかえますねえ」



 ☆「優勢になって、『どうやっても勝ち』という局面こそ、迷ってしまって、かえって危ないんですよ」



 ★「AIの判定では先手が80%と出てますが、人間的にはむしろ、後手が勝ちやすそうに見えます。これ、ホントに8割以上あるのかなあ」



 

 先日の、藤井聡太王位棋聖稲葉陽八段とのB級1組順位戦でも(メチャクチャおもしろかった!)、佐々木大地五段が、

 


 「評価値は、ほとんど互角ですけど、先手(稲葉八段)が勝ちやすい気がします」


 

 また、中村太地七段戸辺誠七段も、

 

 


「こんな、うすい玉をずっと見さされたら、さすがの藤井二冠も疲れますよ」


 「評価値は45対55ですけど、先手を持ちたい人も、多いんじゃないですかね」


 

 みたいな。

 こういったことを聞くと、こちらとしては単純に、

 


 1のケース

 「なんで悩んでるんだろう。手番をもらったら、ふつうはなんじゃないの?」

 


 2のケース

 「どうやっても勝ちなら、別にどうやっても勝ちなんだよね? 迷うことないっしょ」

 


 3のケース

 AIがそう言ってるのに、なんで納得してないんだろう。てか、【勝ちやすい】って、どういうことなのかなあ」


 

 なんて首をひねりたくなるわけですが、これがですねえ、自分で指してみると、すんごくよくわかるんですよ。

 「評価値」ではわかりづらい、「実戦心理」というヤツです。

 それこそ、遊びでも将棋を指したことがあるなら、上記の状況でも、

 


 1のケース

 なに指したらいいか、わからん場面での手渡しはキツイ

 はあー、色々ありそうやのに、一手も見えへんて、どういうことやねん。

 こっちが悩んでるの見て、コイツ内心で、ニヤニヤしてるんやろうなあ。

 「大悪手、お待ちしてます」みたいな顔しやがって、意地の悪いやっちゃ。

 でも実際、なにやっても悪手になる気がするやん!(焦)

 


 2のケース

 余裕勝ちやのに、決めるとなるとフルえるなあ。

 あれも勝ち、これも勝ち、どうせやったら最短で勝ちたいけど、だいたいそういうのは落とし穴があるもんやねん。

 攻めて勝つか、受けて勝つか……て、あれもう残り1分

 ぎえー、あせるあせる! あ、悪い手やってもた(泣)

 


 3のケース

 はー、なんとかリードは奪ったけど、またここからが長いんや。

 AIは優勢とか言うとるか知らんけど、こっちの玉は薄いし、向こうはまだアヤシイ手でねばってきそうやし、どこに落とし穴があるか、ワカランで。

 カイジの鉄骨渡りと同じや! 

 そら、機械やったら怖がらんと、まっすぐ歩けるから平気やろうけど、人間は下見てまうからなあ。そんな簡単やないのよ。


 

 ……なんて、心が千々に乱れるわけなのだ。

 で、それもまたきっと、われわれのような素人と、アマ高段者からトッププロでも、さして変わらない

 彼ら彼女らはトレーニングを積んでるから、ポーカーフェイスをつらぬけるだけで、やらかした瞬間の、

 「!」

 内心で、真っ青になっているところは、絶対に同じはず。 

 実はそれこそが将棋観戦の、さらなるおもしろさだったりするのだ。

 そう、将棋を《観る》おもしろさは、盤面の戦いと同じくらい、いやときにはそれ以上に、

 

 「人の心がブレる瞬間」

 

 これこそが、真の醍醐味なのである。

 それを、自分で指せば、ものすごく実感できる。

 棋士たちが迷うとき、フルえるとき、やってはいけない場面で、やらかしてしまうとき。

 


 「ポカウッカリは指して、駒からがはなれた、その瞬間【うわ、やってもた!】と気づく」


 「悪手を指したあと、あせって指した次の手は、やっぱり悪手」


 「相手がミスしたら、【待った】なんてできないはずなのに、【しめた!】と、つい手拍子のノータイムで対応してしまい、しかもそれが、たいてい悪い手


 

 みたいな、「あるある」とか(嗚呼、書いてるだけで胸が痛い……)。

 指し手の理解は、その人の棋力に比例するが、気持ちの揺れは、おそらくだれしもが理解し、共感できる。

 その経験が、将棋観戦を何倍にも興味深くする。

 だからこそ、むしろ《観る将》の人にこそ、一度プレイしてみることを、強くおススメしたいのだ。

 あの、悪手を指した瞬間の、全身から血の気が引く感じや、優勢な将棋をまくられたときの、の血液が一瞬でゆだるところ。

 それを体感しておくだけで、ひいきの棋士への肩入れ度も、さらに爆上がり間違いなしなのです。

 

 (鈴木大介の勝負手と「妄想」実践編に続く→こちら

 

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