「激辛流」降臨 丸山忠久vs森内俊之 1999年 全日本プロトーナメント決勝

2021年06月29日 | 将棋・好手 妙手

 丸山忠久九段の将棋を、たくさん見た6月の後半だった。

 まず12日にJT杯日本シリーズ広瀬章人八段戦。

 20日はNHK杯本田奎五段戦。

 22日の叡王戦の準決勝で藤井聡太王位棋聖戦とイキのいい若手が続く。

 仕上げに、26日のアべマトーナメントのチーム「早稲田」。

 なかなかのハイペースで、マルちゃんファンにはたまらない季節だったろう。

 マルちゃんと言えば、そのイメージは「大食漢」と筋トレ

 それに、あの「ニコニコ流」と呼ばれた笑顔に加えて、やはりはずせないのが、

 

 「激辛流」

 「友達をなくす手」

 

 と恐れられた、手堅い勝ち方。

 マルちゃんがまだ若手だったころ、たしか島朗九段が言っていたように記憶するが、

 

 丸山忠久

 森内俊之

 藤井猛

 

 の3人を「激辛三兄弟」と評していて、まあ「鋼鉄の受け」森内はわかるとしても、藤井にそんなイメージはないなあ。

 とか、いつの間にかいわれなくなったけど、丸山が「激辛」なのは、これはもうたしかという、血も涙もない勝ち方を披露していたものだった。

 もちろんこれは、勝ち目のなくなった相手を、いたぶって遊んでいるわけではなく、有利になった局面をまとめる、クレバーな勝ち方のひとつ。

 将棋というゲームは王様を詰ませれば勝ちだが、局面によっては一気に攻めかかるよりも、「辛い手」を出した方が、結果的に早く勝てるというケースが結構ある。

 相手に有効手がない局面で、手を渡したり、じっと自陣に手を入れたり。

 また、遠巻きながら、敵の攻め駒を責めたりすると、さらに差が広がるだけでなく、闘志をなえさせる効果もあるのだ。

 

 「逆転とかしないから。もう、投げなさいよ」

 

 前回は「米長哲学」という言葉を生んだ、大野源一米長邦雄の大熱戦を紹介したが(→こちら)、今回は丸山忠久の辛い将棋を見ていただきたい。

 

 1999年全日本プロトーナメント(今の朝日杯)。

 決勝5番勝負の第1局森内俊之八段と、丸山忠久八段の一戦。

 後手の森内が急戦向かい飛車を選ぶと、丸山はすかさず穴熊にもぐる。

 振り飛車が果敢にしかけ、飛車交換後に双方、自陣飛車を打ちあうねじりあいに突入。

 むかえたこの局面。

 

 ここではすでに、丸山勝ちが決定的である。

 というと、

 

 「え? そうなの? そりゃ大駒は先手の方が使えそうだし、玉の固さも差があるけど、振り飛車も桂得だし美濃も手つかずで、まだ全然やれるんじゃね?」

 

 私のみならず、結構多くの人が、そう感じるのではあるまいか。

 実際、アマレベルだとここから指し次いで、先手が確実に勝てるという保証はない気がする。

 ましてや、ここからわずか7手で投了に追いこむなど。

 しかしこれは、見た目や数字以上に、先手が勝ちなのである。少なくとも、森内はそう判断していた。

 丸山の次の手が、森内のを打ち砕いたからだ。

 

 

 

 

 ▲78金寄が、丸山忠久の真骨頂ともいえる手。

 この手自体は、ものすごく地味な手ではあるが、玉を固め、▲68▲59などの活用範囲も増やした、絶対に損のない手でもある。

 なにより後手側に、この手以上に価値のある手などないことを完全に見切った、「勝利宣言」とも言える一着なのだ。

 

 「これ以上がんばっても、むくわれないどころか、もっとみじめになるだけですよ」

 

 なんという冷たい手なのか。である。アンタの血の色は、何色やと。

 もちろんこれは、すべて「ほめ言葉」だ。

 将棋において、最も価値の高いのは「勝つ手」なのだから。

 現に森内は、ここからわずか数手で駒を投じてしまうのだから、この金寄の破壊力が、理解できようというもの。

 指す手のない後手は、△44銀▲65飛△45桂とするが、▲86角△25飛▲46歩まで丸山勝ち。

 


 早い投了のようだが、△57桂成▲25飛と取られる。

 △29飛成なども▲45歩を取って、△35銀▲53角成が、また銀当たりと、指しても後手に光明はない。

 丸山自身の強さもさることながら、あの強靭な精神力を武器とする森内俊之をあきらめさせ、中押しを食らわせたというのが、えげつない。

 この時期の丸山は、文字通り鬼神めいた強さで、全日プロは3連勝で森内を一蹴し優勝

 翌年には佐藤康光名人を破って、初タイトルの名人を獲得するのだ。

 

 (「藤井システム」にあたえた羽生善治の影響編に続く)

 

 

コメント (2)
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