「自陣飛車」というのは、上級者のワザっぽい。
将棋において飛車という駒は、最大の攻撃力があるため、ふつうは敵陣で、できれば竜になって活躍させたいもの。
それを、あえて自分の陣地に打って使うというのは、苦しまぎれでなければ、よほど成算がないと選べないもので、これはいかにも、玄人の手という感じがするではないか。
前回は「藤井システム」と羽生善治九段の、深い関係性を紹介したが(→こちら)、今回は、過去にもあった自陣飛車の好手を紹介したい。
1991年、第50期A級順位戦。
大山康晴十五世名人と、小林健二八段との一戦。
順位戦といえば、もともと注目を集める棋戦だが、この時期のA級は特にその傾向が強かった。
「A級から落ちたら引退」
といわれていた大山が、何度もピンチをむかえながら、奇跡的なふんばりを見せ、残留し続けていたからだ。
さらに、この年は一度は克服したはずのガンが再発し、その手術を受けるということもあって、ますます話題となっていた。
この大山-小林戦は、そんな大山の手術前に行われた一局ということで(手術で不戦敗になるのは困るため日程を前倒しにした)、そのあたりの心理状態も、2人の間に微妙な影を落としたのでは、と言われたものだった。
戦型は小林の四間飛車に、大山は5筋位取り。
押さえこみをねらう大山に、小林は左桂を捨てる軽いさばきから、突破口を開き、むかえたこの局面。
図は小林が、▲51角成と飛びこんだところ。
先手が駒損ながら、敵陣深くに馬が侵入し、次に▲41銀と打てばほとんど詰み形。
細い攻めを、うまくつないだかに見えるが、ここで大山に力強い手が出る。
△31飛と、自陣に打つのが好手。
馬を逃げては勝負にならないから、先手は▲52歩とつなぐが、すかさず△33角とぶつける。
病身とは思えぬ、なんとも力強い受けだ。
▲同馬は△同桂で、先手の攻めは切れ筋におちいる。
そこで▲45歩と突いて、△34金に▲25銀と食いつくが、ガシッと△22桂と打つのが、「受けの大山」の真骨頂。
壁になるので、いかにも打ちにくいが、ここさえ、しのいでしまえば勝ちと見切っている。
先手も▲34銀と取って、△同桂に再度▲25銀とするも、そこで△51角と取る。
▲同歩成、△同飛、▲34銀に△91飛と、攻め駒を、すべてクリーンアップしてしまい、受け切りが見えてきた。
小林の▲93香は「最後のお願い」という手。
△同飛なら▲71角があるが、次の手が大山流の決め手だった。
△92歩が、実に辛い手。
あまり見ない形だが、これで小林に指す手がない。
後手玉は周りに守備駒がいないにもかかわらず、自陣の(!)ニ枚飛車が強力で、まったく寄りつかないのだ。
以下、数手で先手が投了。
△22桂の場面では、先手のほうにもなにかありそうにも見えるが、闘病中にもかかわらず、ガツンと△31飛という強い手を見せつけた大山の気力が、通った形になった。
一方、ガッツで戦うはずの小林将棋が、意外なほどあっさり負けてしまったのは、やはり、やりにくさがあったのだろうか。
もっとも大山のことだから、そんな心理状態すら、計算に入れていたのかもしれない。
「今のオレ様に空気も読まず、本気でぶつかってくる気なんか? ファンはみんな【大山、またも奇跡の残留】を期待してるのに、ええ根性してるやないか」
なんにしても、体調の思わしくない69歳とは思えぬ、力強い指しまわし。
まさに「大山だけはガチ」なのだ。
(久保利明の桂馬のさばき編に続く→こちら)
(引退をかけた当時の「大山伝説」は→こちら)