前回の続き。
小4のころ、クリスマス会で披露するという、自作のゲームを見せてくれたクラスメートのサイデラ君に、
「ダメだこりゃ」
ドリフのごときズッコケ感を味わった少年時代の記憶。
といっても、彼の持ってきたゲームがショボかったからではなく、これがまったく逆の理由。
当時10歳の私は、しみじみ思ったものだ。
いや、たしかにサイデラ君、このゲームはすばらしいものがあるよ。
でもね、これはワシらにはレベルが高すぎると思うんだよ。
言うたらなんだが、私らの通っているのは、そこいらにある、ただの小学校。
でもって、そのほとんどが、まあ「一山いくら」な平凡な児童たちなのである。
ましてや、下町育ちのわれわれは、ふつうよりも、さらに能天気なところすらあるわけなのだ。
そこに、この高度なルールと思想は通じないよ。
そうアドバイスしたのだが、サイデラ君はキョトンとするだけ。
「なにが、いけないのかなあ?」
どうやら、かしこいだけでなく、人間的にもスレてない彼には、
「見た目の美醜や経済力と同様、頭脳においても人間には格差というものが存在する」
という冷徹な事実に、まったく無頓着なのだった。
「できる」人にありがちな、カン違いとも言えるかもしれない。
「彼女ができない? そんなの、積極的にどんどん声かけていけば、すぐできるじゃん」
「バッティングのコツ教えてだって? そんなの、来たタマをカーンて打ち返せばいいんだよ」
「ドイツ語ができないという人の気持ちが、わからない。あんなものはギリシャ語とラテン語ができれば、すぐに使えるようになるというのに」
最後のは森鴎外の、世界中の外国語学習者をイラッとさせる有名なセリフだが(森は始終こんなことばっかり言ってるイヤなヤツです)、とにかく能力値に恵まれた人は、悪意はなくとも、こういうスタンスになりがちだ。
サイデラ君も、その「当然わかるでしょ」という罠におちいっていた。
どうにも通じなさそうなところと、なにより、これが「スベる」ことを瞬時に察した私は、なんのかのと理屈をつけて、サイデラ君から距離を置くこととなった。
果たして、クリスマス会本番。
私の予想はものの見事に当たり、サイデラ君がその叡智をそそぎこんで制作したゲームも、
「ルールがおぼえられへん」
「自分がかしこいって自慢か。キショいな」
「てゆうか、キックベースやろうぜ!」
ガサツな下町少年たちの声にかき消されてしまう。
あからさまに、めんどくさそうなゲームのルールは女子にも敬遠され、サイデラ君は居心地悪そうに苦笑して、だまって壇上から降りて行った。
かける言葉もない私は、
「まあ、むずかしすぎたかな。ほら、オレらはみんな、キミとくらべて阿呆やから。悪いのはこっちやから、気にせんとってな」
一応、フォローを入れておくとサイデラ君は、
「シャロン君だったら、いいチームが組めると思ったんだけどね」
そう、つぶやくと、
「ボクのやりたかったことは、わかってくれたでしょ?」
わかるよ。
私も休み時間は友達とグリコやタカオニをしながら、やはり彼と同じく図書館に通う子供でもあった。
でも、わかったから、はなれちゃったんだよなあ。
今思うと、彼のような優秀な男子が、私をパートナーに選んでくれたというのは光栄なことである。
彼の理想も理解できた。その意味では、そのチョイスも間違ってなかったと思う。
それは私が、彼のように優秀だからというわけではなく、
「自分とちがう人をおもしろがれる」
という好奇心のようなもの搭載されたから。
そう、私の能力自体はサイデラ君に遠くおよばないけど、それとは別に、
「天才シャーロック・ホームズをリスペクトし、よしんば記録もしてくれる【ジョン・H・ワトソン】」
この資質を持っていることなのであろう。
自分が世の「変わった人」とか「浮いている人」と仲良くなりがちなのは、その雰囲気をむこうが感じ取ってくる(あっちはあっちで、そういう「受け入れてくれる人」を熱望しているから)からではあるまいか。
だから私はよくある
「自分はふつうとは違う」
「よく周囲から変わってるといわれる」
などという変人(特別な人間)志願の人を見ると、ときおり切ない気分にさせられる。
彼ら彼女らはきっと自分が「ふつう」であることに不満があるのだろうが、逆に言うと本心から、仮に発言者に悪気はなくとも、
「アナタって、変だよね」
と言われる人が、ひそかにさいなまれている孤独感や警戒心、ときに屈辱感を理解してないからだ。
「志願」の人にそれは「誉れ」かもしれないが、「本物」の人に、それは世界からの「拒絶」の言葉で耐えがたい。
サイデラ君は変人ではないが、その魅力を感じ取るには、やや「予備知識」が必要になる。
でもたぶん、彼と決定的にちがっていたのはこっちは結局、根が抜け作だから、
「平凡な男の子が、自分より優れた者に対して見せる、無理解な反応」
これもまた、見えてしまったわけなのだ。
そして私は明らかに凡夫側の男の子で、本とかボードゲームが好きとか、そういうのはあんまし関係ないんだ。
「人種」が違うというか、要するにキミはまっすぐなエリートで、
「立派だが、やや退屈」
であり、私の好みはもう少しレベルが低いというとアレだけど、庶民的というかB級好みで、その分、クラスメートには親しみやすさはあったのだろう。
そこが、かみ合わなかったんだよ。
サイデラ君は、その後も地味な優等生生活を続け、私の周囲でも話題になることは、ほとんどなかった。
その後、公立のトップ高校から優秀な国公立大学に進学したらしいが、きっとそこでは彼にふさわしい、本当に頭のいい友人ができたんじゃないかと思う。
よく『ドラえもん』の話をするときに、
「出木杉くんは、いつも劇場版に呼ばれなくてかわいそう」
「だって、出木杉が出たら能力高すぎて、他のキャラが活躍できないじゃん」
なんてネタにされることがあるけど、そういうとき私はいつも、サイデラ君のさみしそうな顔を少しだけ思い出すのだ。