ジョー・ウォルトン『ファージング』三部作を読む。
舞台は1949年。第二次大戦終結後、すぐのイギリス。
といっても、これは我々の知る
舞台は1949年。第二次大戦終結後、すぐのイギリス。
といっても、これは我々の知る
「アメリカ、イギリス、ソ連などを中心とした連合軍がドイツ(&日本)に勝利した戦後」
という教科書で習うそれではなく、この『ファージング』三部作による「戦後」とは、
「ドイツの副総統ルドルフ・ヘスによる講和工作の成功により、イギリスとドイツが和平を結んだ世界」
有名なところではフィリップ・K・ディック『高い城』や、クリストファー・プリースト『双生児』に代表される、
「第二次大戦でドイツが勝利(に近いもの)をおさめた」
という歴史改変もの作品になっているのだ。
この世界ではアメリカは第二次大戦に参戦しないどころか、親独のチャールズ・リンドバーグが大統領になっていたりしている。
ソ連とドイツは、いまだ東部戦線で殺し合いをしていて、「クルスクの戦い」をあつかった映画に、ハンフリー・ボガートが主演したり。
われらが大日本帝国も「東亜共栄圏」(イギリスとやりあってないので領土を分け合っているから「大」ではないらしい)で、ブイブイいわしたりとか、そういう時代なのである。
この『ファージング』三部作に共通している構成として、語り手が2人いることがあげられる。
まずシリーズを通しての主人公であるカーマイケルは、スコットランド・ヤードの刑事。
イギリスを対独講和に導いた「ファージング・セット」と呼ばれる貴族や政治家など、上流階級で起こった殺人事件の捜査を担当することから、政治的陰謀に巻きこまれていくことに。
一方、そのペアとなる語り手は、これがすべて女性。
『英雄たちの朝』のルーシー、『暗殺のハムレット』のヴァイオラ、『バッキンガムの光芒』のエルヴィラ。
3人とも、自身が深くかかわっている上流階級の社会に違和感を感じ、自分の人生を自分で選択したい、という強い意志を持っている。
性格こそ違えど、そこはかなりハッキリと設定的にトレースされており、もしかしたら作者であるジョー・ウォルトンの性格や思想が、大きく投影されているのかもしれない。
そして、この3人のもう一つの共通点は、
われらが大日本帝国も「東亜共栄圏」(イギリスとやりあってないので領土を分け合っているから「大」ではないらしい)で、ブイブイいわしたりとか、そういう時代なのである。
この『ファージング』三部作に共通している構成として、語り手が2人いることがあげられる。
まずシリーズを通しての主人公であるカーマイケルは、スコットランド・ヤードの刑事。
イギリスを対独講和に導いた「ファージング・セット」と呼ばれる貴族や政治家など、上流階級で起こった殺人事件の捜査を担当することから、政治的陰謀に巻きこまれていくことに。
一方、そのペアとなる語り手は、これがすべて女性。
『英雄たちの朝』のルーシー、『暗殺のハムレット』のヴァイオラ、『バッキンガムの光芒』のエルヴィラ。
3人とも、自身が深くかかわっている上流階級の社会に違和感を感じ、自分の人生を自分で選択したい、という強い意志を持っている。
性格こそ違えど、そこはかなりハッキリと設定的にトレースされており、もしかしたら作者であるジョー・ウォルトンの性格や思想が、大きく投影されているのかもしれない。
そして、この3人のもう一つの共通点は、
「最初は政治に興味などなかったのに、それぞれの個人的な出来事がきっかけに、いやおうなく政争にかかわらざるを得なくなっていく」
『英雄たちの朝』における、いっそ能天気ともいえるルーシーのパートでは、迫害の度合いが増しつつある、ユダヤ人を夫に持ったがゆえ。
舞台女優のヴァイオラは、主演に抜擢された『ハムレット』の舞台上で、なんとヒトラー暗殺の片棒を担がされたことによって。
諸所の事情でカーマイケルが後見人をつとめるエルヴィラも、オックスフォードへの進学と社交界デビューを控える中、政治犯とのつながりを疑われ、強制収容所(!)送りの危機にさらされる。
彼女らは、はからずも関わることとなった事件から、徐々に「覚醒」していくのだが、読んでいて恐ろしいのは、
「全体主義に染まっていくイギリス」
これへの変化が静かに進行し、やがては後戻りできなくなるところまで行く過程だ。
そう、「歴史」を知っているわれわれからすると、ナチズムと同化していくイギリスの姿は危険であり、それだけでもドキドキするが(まあ、現実の英国もどうやねんとは思いますが)、当の本人たちは案外とそれを受け入れるし、もし違和感を感じたとしても、対抗する術もない。
実際、カーマイケルも3人の女主人公も、政治的なかかわりに無知だったり面倒がっているし、エルヴィラに至ってはこんなセリフすら口にする。
「ファシズムに逆らうのはよくないことでしょ?」
そのへんの危機感のなさも、『バッキンガム』の解説で書かれいている作者の問題意識が、深くかかわっているのだろう。
もしかしたら主人公たちの考え方の遍歴こそが、「かつてのジョー・ウォルトン」だったのかもしれない。
いつの間に、世界はこんなことになってしまっているのか。その間自分は何をやっていたのか、と。
昨今の世界情勢化を鑑みれば、あの国もこの地域も、もちろん日本も他人事でないところがリアルであり、考えさせられるところでもある。
気がつけば、事態は対処不能なほどに悪化しており、無辜の市民も、いつの間にか他人事ではなくなる。
昨今の世界情勢化を鑑みれば、あの国もこの地域も、もちろん日本も他人事でないところがリアルであり、考えさせられるところでもある。
気がつけば、事態は対処不能なほどに悪化しており、無辜の市民も、いつの間にか他人事ではなくなる。
歴史書をひもとけば、人は何度も何度も同じパターンを繰り返しているが、21世紀になっても、やはり似たようなことをくり返していく。
そして、その責任はだれあろう「われわれ」にもあるのだ。
3人の女性の変化を通じて、そうジョー・ウォルトンは突きつけてくる。
……なんて書くと、ずいぶんとお堅いというか、マジメな内容ではないかと腰が引けることがいるかもしれないが、これが案外とそうではない。
……なんて書くと、ずいぶんとお堅いというか、マジメな内容ではないかと腰が引けることがいるかもしれないが、これが案外とそうではない。
このシリーズは三部作を通して、サクサク読める上質のエンターテイメントに仕上がっており、そんな設定の暗さをまったく感じさせないのだ。
「ある秘密」ゆえに権力側に利用され、泥水を飲まされる羽目におちいったカーマイケルは、その知恵と正義感によって、密かなレジスタンスを開始する。
ルーシー、ヴァイオラ、エルヴィラも元は決して、たくましいヒロインではない。
自意識こそ、同時代の平均的女性よりは強いかもしれないが、それぞれがそれぞれに、「若い娘さんの無思慮」を持った、等身大の女性にすぎないのだ。
それでも彼女たちもまた、自身が不条理にさらされたとき、大きな決断をする。
それでも彼女たちもまた、自身が不条理にさらされたとき、大きな決断をする。
それはきっと、アントニオ・タブッキが『供述によると、ペレイラは……』で描いた「たましい」のためだ(それについては→こちら)。
リーダビリティーが高く、疾走感あふれる文体に、魅力的な設定とキャラクター。
紆余曲折に数々の悲劇もあるも、最後はあざやかで希望にあふれた収束。
紆余曲折に数々の悲劇もあるも、最後はあざやかで希望にあふれた収束。
シメはちょっと出来すぎではというか、「そこにまかせて大丈夫?」という気もするけど、いかにも「大団円」と呼ぶにふさわしい大物もからんできて、エンタメ的にはこれでいいでしょう。
ミステリ好きに歴史好き、また「今の時代」に違和感を感じている人も皆、『ファージング』三部作は、とってもおススメです。
ミステリ好きに歴史好き、また「今の時代」に違和感を感じている人も皆、『ファージング』三部作は、とってもおススメです。