前回(→こちら)の続き。
「七冠王」なるかで将棋ファンのみならず、世間一般も巻きこんでのお祭りになった、1995年の第44期王将戦(第1回は→こちらから)。
開幕局を谷川浩司王将が制したところで、阪神淡路大震災というとんでもないことが起ってしまったが、谷川はそのショックにも屈せず第2局も勝利。
ここまで羽生善治六冠に、大きいところで負かされまくっていた谷川だが、最終防衛線を死守するこの七番勝負は、やはり気合がちがった。
だが、ここで引き下がっては頭上に輝く6つのクラウンが泣くということで、羽生も第3局で1番返す。
続く第4局も、手厚い指し回しを見せ、終盤をむかえた。
図は羽生が△47桂と打ったところ。
後手は3筋の駒がすごいことになっているが、うまく▲39の桂や、下段の飛車をいじめながら凝り形を解消していけば、敵陣へのトライで不敗の態勢を築ける。
ただ飛車を逃げるだけの手では、どんどん押しこまれそうだが、ここで谷川が見事な突破口を開く。
▲55歩と突くのが、ピュウと口笛でも吹きたくなる、センス抜群の軽妙手。
△同歩なら、▲56銀と強引にチャージをかけて、△同歩に▲同金から押し戻せる。
△同飛なら▲同飛で、取れば▲57飛で詰み。こうなると、3筋の壁がモロにたたってしまう。
羽生は△59桂成と根本の大砲を取り払うが、一回▲23と、と利かすのがソツのない手。
△43金と代わって、そこで▲56金打が強烈なヘッドバット。
△44玉に▲46金上とくり出して、△同銀、▲同金でついに後手のプレスを突破に成功するのだ!
頼みの厚みが雲散霧消した羽生は、△69馬と逃げながら先手陣にプレッシャーをかける。
押えこみから一転、攻守所を変えたが、ここで谷川が対羽生戦で犯してしまいがちな過ちを見せてしまった。
本譜は▲45銀と押さえて、△53玉に▲79金と一回受けたが、ここでは自陣を見ず▲44歩、△42金、▲54銀、△62玉、▲43歩成と、バリバリ攻めを継続していけば先手が優勢だった。
こういう攻めていけばいいところで、ひるんでしまい、また受けなければいけないところで暴発してしまう。
谷川にかぎらず、羽生に痛い目にあわされた棋士たちは皆、同じようなミスで自滅してしまうのだが、ここでそれが起こってしまった。
相手を「疑心暗鬼」にさせるのも、また羽生の強さのひとつだった。
以下、△62玉と早逃げし、▲44歩、△42金、▲54銀に△67金と攻め合われて一手負け。
せっかくいい手を指して挽回したのに、対羽生戦の「あるある」のようなことをしでかしてしまい惜敗。
これで2勝2敗のタイに。
流れはこれで挑戦者に傾いたかと思われたが、やはりこのシリーズの谷川は一味違った。
第5局では相矢倉から、後手ながら谷川が攻勢を握る。
△25の銀取りになってるのもかまわず、△88歩とおそいかかるのが谷川「前進流」の踏みこみ。
これが好判断で、以下▲25飛に△89歩成、▲同玉、△33角、▲66歩。
そこで△68銀から「光速の寄せ」を発揮して快勝。
▲25にある飛車が、攻防ともに働かないことを見抜いた、見事な構想である。
これで3勝2敗と防衛に王手。
続く第6局も谷川ペースで進み、相矢倉から先行して好調な攻めが続く。
▲45桂と跳ねた局面は、攻め駒が全部さばけて全軍躍動。
明らかに先手優勢だが、ここまで来て負けるわけにもいかない羽生も、土俵際で返し技を模索する。
△24香が、七冠への執念で放った、乾坤一擲の勝負手。
この手に谷川が揺らいだ。
ここでは▲53角成とすれば良かったが、▲53桂成としてしまう。
といっても、これは最短を逃したというだけで、依然谷川がハッキリ優勢であることには変わりない。
少し進んで、この場面。
先手玉に詰みはないから、ここでは▲53角成のような、遠巻きの攻めでも勝てるし、おそらく他にも、いくつか寄せの筋がありそうだ。
ところが谷川はここで、▲24歩と打ってしまう。
これが信じられない「一手バッタリ」という大悪手で、すかさず△79銀と打たれ、▲78玉に△66銀で逆転。
▲24歩がなければ、たとえば▲53角成としても、△79銀に▲同玉と取って、△87桂成にはもらった銀で▲13銀と打って詰み。
先手玉は怖いようでも、駒を渡さずに攻めるのは難しいから、
「なにか駒が手に入ったら詰ますぞ」
この権利さえキープしておけば、後手は指しようがなかった。
それを自ら放棄した▲24歩は、まさに「ココセ」(相手に「ここに指せ」と指令されたかのような大悪手のこと)としかいいようがない手。
なぜ谷川ほどの使い手が、ここで誤ってしまうのか、まったく不思議である。
七冠王阻止まで、まさにあと一歩とこぎつけながら、またもや羽生の「幻影」に惑わされ、着地に失敗した谷川浩司。
その苦しみようは、まるでシェイクスピアの悲劇のようだが、こうしてフルセットまで、戦いは持ち越されることに。
ドラマチックなうえにも、ドラマチックな展開となった、この「七冠シリーズ」。
もはやどっちが勝つか予想など不可能であり、こちらとしてはもうただただ、子供の数えジャンケンではないが、どちらにしようか、
「神様の言う通り」
としか言いようのない心境であった。
(続く→こちら)