「もし明日世界が終わるとしたら、最後の一日何してすごす?」
飲み屋の話などで、たまに出てくる話題である。
これには様々な意見があろう。
「家族とすごしたい」
「最後の瞬間は愛する人と抱き合って終わりたい」
「特になんということもなく、いつも通り生活します」
などなど。
このテーマにはたくさんの作家が、エッセイなどで答えている。
中島らもさんは「最後の晩餐」というお題を与えられたエッセイに、
「最後の夜は、辛口の日本酒で一杯やりながらすごしたい。肴には、おこぜのぶつ切りを、白菜と固いお豆腐で小鍋立てにして、そんなもんで充分」
と、粋なことを書いておられた。
また、将棋のプロ棋士である先崎学九段は「あと一週間で死ぬとしたら、どうすごすか」というストレートな質問に、
「以前同じ質問を、つきあっていた彼女にしたことがある。彼女は少し考えてから、『今まで出会ってきた人と、もう一度会いたい』と答えた。 僕は彼女のことをかしこいと思った。だから僕もそう答えたい」
この回答は、非常に印象に残った。
私はさみしがり屋でもないし、「人生いろいろあるけど、結局、人なんだよね」みたいな、ありがちな意見にもくみしないけど、この答え自体は映画『舞踏会の手帖』みたいで、ちょっとシャレてるではないか。
それにあやかっていえば、自分なら、
「もし明日死ぬとしたら、これまでに出会ってきた旅行者たちともう一度会いたい」
と答えるかもしれない。
私は旅行好きである。同時に旅行者と話をするのも好きである。
ふだんはさほど社交的な方ではないけど、旅行中だけはやたらとフレンドリーになるという性質があって、旅は道連れとばかりに、仲良くなることもままある。
特に安宿やユースホステルに泊まっているような旅行者は、気のいい連中が多いし、長期旅行をしているような人は個性的でおもしろい人がたくさんいるため、自然と話も盛り上がることになる。
また、旅行者同士の関係は、あっさりしているのもいい。
みんな、どれだけ仲良くなっても、出発の予定日が来れば
「じゃ、行ってきます」
と去ってゆく。それを我々は
「お気をつけて、よい旅を」
と見送るだけ。簡単なもの。これは、どれだけ仲良くなろうと、たいして変わることはない。
もちろん、私も「そろそろ行こうかな」と思ったら、あいさつだけしてさっと出て行く。
「ハロー、グッドバイ」。この薄情さが心地よい。
だから最後の日は、パリでもバンコクでもアムステルダムでも台北でもカイロでもNYでも、どこでもいいからバックパッカーが集まる宿に泊まろう。
そして、「あの遺跡は素晴らしかった」だの「あの店はボるから気をつけろ」なんていう旅の話をツマミに、朝までバカ話。
わーっと盛り上がって、疲れた者から順に落ちていって、いびきかいているうちにドカンとおしまい。サヨナラバイバイ。
それはそれは、想像するだに、愉快で楽しい終末の日ではあるまいか。
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旅路の別れのうら寂しさとある種の爽やかさを思い出しました。
あぁまた旅に出たくなってしまったではないですか。笑
〉いい内容で思わずコメントしたくなりました!
うれしいです! といいたいところですが、手柄の9割は先崎先生(の彼女さん)ですね(笑)。
〉旅路の別れのうら寂しさとある種の爽やかさ
あまりにも瞬間的であるという、はかなさと、それゆえの「いいとこどり」感が、旅の出会いのいいところですよね。
〉あぁまた旅に出たくなってしまったではないですか。
出たいですねえ。人の欲望にはキリがないと言いますけど、他はともかく、旅行に関してはたしかにそうだなあ。