「かつて、われわれバックパッカーには、確実に《あの時代》と呼ばれるころがあったんですよね」
『バックパッカー・シンドローム』という本を作るにおいて、そんなことを言ったのは丸山ゴンザレスさんだった。
マルちゃんとは年代が近く、「バックパッカー」だったという共通点がある私は本制作のクラウドファンディングに参加しわけだが、ではその「あの時代」とはどんなものなのか。
今では世界を旅行するアジア人と言えば、中国人や韓国人だが、一昔前はほとんど9・1くらいで日本人だった。
マルちゃんのあつかう時代(80年代から2000年初頭くらい)というのは、今思うと若者が旅をする条件がそろっていた。
格安航空券が出だして、円が強く、バブルがはじけたとはいえ日本はまだ豊かな方の国で、アジアやアフリカなどはビックリするほど物価が安かった。
たとえば、世界中のバックパッカーに愛されるタイなんかは、ベッドしかない3畳ほどの部屋でよければ1泊500円以下で泊まれた。
食事も屋台で済ませれば1食100円程度で、インドやネパール、ヴェトナムにカンボジアなども同様。
つまりは、日本でちょっと割のいいバイトをして航空券代さえ貯めれば、数か月ダラダラとアジアで過ごせたのだ。
観光してもいいし、日本人のたまり場宿に行けば、地元ではなかなか会えない個性的な旅行者とも会えて、それはそれで楽しいもの。
1日中、なにするでもなく安宿のロビーやカフェで、ダラダラとおしゃべりしたりするのは、夏休みの友達の家か、大学のサークルのボックスのよう。
そのユルイ感じも、また旅の醍醐味だったりするのだ。
2000年代になってからは、
「タイは若いうちに行け」
とかいう意味不明なキャッチコピーとともに、タイ航空がCM打ったりと、ハッキリ「ブーム」な流れが来たこともあった。
特に旅行好きでもない若い子が「バックパッカーの聖地」ことカオサンロードに集まって安宿ですごすというのが、オシャレというかイケてるというか、そんな時期があったそうだ。
「ガチ勢」にはあまり歓迎されなかったというか、そもそも濃いめのバックパッカーと学生など若い子は相性は悪いところもあり、それは今の将棋界で言う
「古参ファン」vs「ライトな観る将」
の牽制感のようなものかもしれないが、ともかく、そういうこともあったらしい。
そこからも、まだ景気のいい名残があったか「ヴェトナム・ブーム」なんてのもあり、若い女の子がハノイやホーチミンを訪れた時期もあった。
これは明確に旅行業界が仕掛けた流れで、
「アジアの熱気に、フランスのハイソが混在した魅惑のヴェトナム!」
みたいに売っており、ヴェトナムに「パリのエスプリ」など、カケラも存在しないことを知っていたわれわれは、苦笑いを禁じ得なかったが、まだこのあたりは日本も元気だったということであろう。
その後は長引く不景気と、円安のダブルパンチで旅行自体がやや行きにくくなり、しまいには「失われた30年」(長すぎや!)に飲みこまれて、いつの間にかヤングすら海外に出て行かない時代に。
そっかー、知らんかったけど、それも時代の流れなんやろなー。
けど、ひとつ思うことは事情があって行けない人や、そもそも興味のない人はしょうがないとして、
「海外に興味はあるけど、めんどくさそうだし、そんなにおもしろいのかなー、コスパ悪そう」
と迷っている人がいれば、それに関しては、ちょっと老婆心ながら、
「選択肢があるんなら絶対に行った方がいいよ。コスパなんて気にならないくらい楽しいし、下手すると、あなたの人生を変えるかもしれないから!」
そんな、思わず熱く振りかぶってしまうくらいには「バックパッカー魂」が、まだ残っている私なのでした。
(続く)