前回(→こちら)の続き。
2016年フレンチ・オープン決勝、ノバク・ジョコビッチ対アンディー・マレー戦はいよいよクライマックスをむかえようとしていた。
勝利を、そして生涯グランドスラムを目前にしながら、もがき苦しむ王者ジョコビッチ。第4セット5-2からサービスを落とし、マレーの逆襲をゆるしつつある。
敵はただひとつ。これまで幾多の修羅場をくぐってきたはずのノバクすら硬直させるプレッシャー。
栄光を前に、錆びついたブリキのおもちゃのごとく軋む体をなんとかしようと、あの手この手でなだめようとする。
両手を振って観客をあおり立てる、くりかえし深く息を吐く、天に向かってなにかつぶやく、ともするとはじけ飛びそうになる心と体を、なんとかなだめようと、丁寧に何度も何度もボールをつく。
この3ゲームは決勝戦の、まさに白眉だった。
あのテニス界に君臨し、すべての栄冠を手に入れた最強の男が、たった数ポイントを取るためにこれだけ苦しみ、乱れ、自らのふがいなさに怒り、重圧に腕が振れなくなる。
神のごとき男の震え。すごいものを見ているなと思った。この数十分だけでも、この試合は観るべき価値があったといっても過言ではない。
圧勝から一転カオスと化した第4セットだが、結果はノバクに幸いした。マッチポイントのラリーもふたりらしい秘術を尽くした打ち合いだったが、最後はアンディーがネットにかけてすべてが終わった。
ノバク・ジョコビッチ、ついに生涯グランドスラム達成。
長かった。そして苦しい戦いだった。
そのことは、もちろんのこと本人が一番わかっている。その証拠に、勝利が決まり、赤土の上に倒れこんだ彼は、ふだん優勝した選手がするようにガッツポーズをしながら咆哮するということをしなかった。
その代わりに、深く、しみじみと深く息を吐いていた。それは勝利に対するよろこびよりも、おそらくは安堵に近かった。
すべてから解放された、ただそれだけが頭をめぐっていたのだろう。
こうして2016年最大となるであろう大勝負は幕を閉じた。結果はやはり王者の強さが際立った。
アンディーはつらかったろうな。あれだけの仕上がりを見せても、中盤以降はやはりチャンスの少ない戦いだった。
ただ、苦手と言われたクレーコートを克服しての準優勝は立派だ。あの位置にいながら、まだまだ「のびしろ」があるというのはすごいことだと思う。ウィンブルドンではリベンジを期待したい。
それにしても思う。錦織圭は、とんでもない時代に生まれてしまったと。
今のテニス界はノバク・ジョコビッチを頂点に、なんのかのいって「ビッグ4」が支配しているが、そのうちの3人が「グランドスラマー」なのだ。
しかもナダルは「ゴールデンスラマー」であり、フェデラーもオリンピックは銀メダル。ジョコビッチもリオで金を取るかもしれず、やや差をつけられているマレーも4大大会で2つ優勝、残る2つもファイナリストになり、オリンピックは金メダル。もう無茶苦茶。
本来、4大大会総ナメなんて130年近い歴史で10回もない出来事なのだ。それを現役選手3人が達成し、4人目も可能性充分ありって……。
おっとろしい時代だし、錦織君をはじめ今の2番手集団には大変だが、それはそれで充実しているともいえる。
実際、ノバク・ジョコビッチはロジャー・フェデラーとラファエル・ナダルがすべての栄冠をかっさらう「二強独裁」の時代について、
「初めのうち、僕はこの時代の一員であることをうれしく思っていなかった」
と告白したそうだ。才能は折り紙つきながら、なかなか1位になれなかった男の偽らざる本音だろう。
だが彼はそれを克服した。私がノバク・ジョコビッチというアスリートをすばらしいと思うのは、そのストローク力やフットワークからではない。
ついでにいってしまえば、世界ナンバーワンになったからでも生涯グランドスラムを達成したからですらない。
乗り越えるのが絶対不可能と思われた壁(しかも2枚)を前にして、心を折らせず、どんな苦境も困難も、
「受け入れて、やるしかない」
という当たり前すぎると同時に、われわれ凡人には実のところ、簡単なようで困難極めること。
もっといえば「わかってても、本当はやりたくない」こと。
それを今でもつらぬき通している姿勢にあるのだ。結果はそれに対する「幸運なごほうび」にすぎない。
その意味では、敗れたとはいえアンディーだってまだまだ捨てたものでもなかろう。
あの「永遠の3番目」だったノバクが、ここまでのことをやったのだ。研鑽すれば、もしかしたら今年の末あたりからは「アンディー・マレーひとり勝ち」時代に突入するかもしれない。
2010年度まで、世界のだれもノバクが「絶対王者」と呼ばれるようになるなど想像しなかった。
だったら、アンディーには無理だと、どうして言える?
次はウィンブルドン。また熱戦を期待している。
2016年フレンチ・オープン決勝、ノバク・ジョコビッチ対アンディー・マレー戦はいよいよクライマックスをむかえようとしていた。
勝利を、そして生涯グランドスラムを目前にしながら、もがき苦しむ王者ジョコビッチ。第4セット5-2からサービスを落とし、マレーの逆襲をゆるしつつある。
敵はただひとつ。これまで幾多の修羅場をくぐってきたはずのノバクすら硬直させるプレッシャー。
栄光を前に、錆びついたブリキのおもちゃのごとく軋む体をなんとかしようと、あの手この手でなだめようとする。
両手を振って観客をあおり立てる、くりかえし深く息を吐く、天に向かってなにかつぶやく、ともするとはじけ飛びそうになる心と体を、なんとかなだめようと、丁寧に何度も何度もボールをつく。
この3ゲームは決勝戦の、まさに白眉だった。
あのテニス界に君臨し、すべての栄冠を手に入れた最強の男が、たった数ポイントを取るためにこれだけ苦しみ、乱れ、自らのふがいなさに怒り、重圧に腕が振れなくなる。
神のごとき男の震え。すごいものを見ているなと思った。この数十分だけでも、この試合は観るべき価値があったといっても過言ではない。
圧勝から一転カオスと化した第4セットだが、結果はノバクに幸いした。マッチポイントのラリーもふたりらしい秘術を尽くした打ち合いだったが、最後はアンディーがネットにかけてすべてが終わった。
ノバク・ジョコビッチ、ついに生涯グランドスラム達成。
長かった。そして苦しい戦いだった。
そのことは、もちろんのこと本人が一番わかっている。その証拠に、勝利が決まり、赤土の上に倒れこんだ彼は、ふだん優勝した選手がするようにガッツポーズをしながら咆哮するということをしなかった。
その代わりに、深く、しみじみと深く息を吐いていた。それは勝利に対するよろこびよりも、おそらくは安堵に近かった。
すべてから解放された、ただそれだけが頭をめぐっていたのだろう。
こうして2016年最大となるであろう大勝負は幕を閉じた。結果はやはり王者の強さが際立った。
アンディーはつらかったろうな。あれだけの仕上がりを見せても、中盤以降はやはりチャンスの少ない戦いだった。
ただ、苦手と言われたクレーコートを克服しての準優勝は立派だ。あの位置にいながら、まだまだ「のびしろ」があるというのはすごいことだと思う。ウィンブルドンではリベンジを期待したい。
それにしても思う。錦織圭は、とんでもない時代に生まれてしまったと。
今のテニス界はノバク・ジョコビッチを頂点に、なんのかのいって「ビッグ4」が支配しているが、そのうちの3人が「グランドスラマー」なのだ。
しかもナダルは「ゴールデンスラマー」であり、フェデラーもオリンピックは銀メダル。ジョコビッチもリオで金を取るかもしれず、やや差をつけられているマレーも4大大会で2つ優勝、残る2つもファイナリストになり、オリンピックは金メダル。もう無茶苦茶。
本来、4大大会総ナメなんて130年近い歴史で10回もない出来事なのだ。それを現役選手3人が達成し、4人目も可能性充分ありって……。
おっとろしい時代だし、錦織君をはじめ今の2番手集団には大変だが、それはそれで充実しているともいえる。
実際、ノバク・ジョコビッチはロジャー・フェデラーとラファエル・ナダルがすべての栄冠をかっさらう「二強独裁」の時代について、
「初めのうち、僕はこの時代の一員であることをうれしく思っていなかった」
と告白したそうだ。才能は折り紙つきながら、なかなか1位になれなかった男の偽らざる本音だろう。
だが彼はそれを克服した。私がノバク・ジョコビッチというアスリートをすばらしいと思うのは、そのストローク力やフットワークからではない。
ついでにいってしまえば、世界ナンバーワンになったからでも生涯グランドスラムを達成したからですらない。
乗り越えるのが絶対不可能と思われた壁(しかも2枚)を前にして、心を折らせず、どんな苦境も困難も、
「受け入れて、やるしかない」
という当たり前すぎると同時に、われわれ凡人には実のところ、簡単なようで困難極めること。
もっといえば「わかってても、本当はやりたくない」こと。
それを今でもつらぬき通している姿勢にあるのだ。結果はそれに対する「幸運なごほうび」にすぎない。
その意味では、敗れたとはいえアンディーだってまだまだ捨てたものでもなかろう。
あの「永遠の3番目」だったノバクが、ここまでのことをやったのだ。研鑽すれば、もしかしたら今年の末あたりからは「アンディー・マレーひとり勝ち」時代に突入するかもしれない。
2010年度まで、世界のだれもノバクが「絶対王者」と呼ばれるようになるなど想像しなかった。
だったら、アンディーには無理だと、どうして言える?
次はウィンブルドン。また熱戦を期待している。