「久しぶりに秘技を炸裂させてしまいました(苦笑)」。
行方尚史がそんな自嘲をもらしたのは、『将棋世界』誌におけるインタビューにおいてであった。
現在、将棋の王位戦が行われている。
39歳にして初のタイトル戦登場の行方尚史が、羽生善治三冠王に挑戦する七番勝負は、羽生が先勝で幕を開けた。
初戦を飾ることが出来なかった挑戦者だが、初の大舞台とは感じさせない思い切りのよい踏みこみ。
不発に終わったものの、最終盤で見せた鋭手△11角など、見せ場は充分に作った印象がある。
「熱く、長いシリーズにしたい」
その意気込みを語ったナメちゃん、第2局以降に大いに期待したい。
行方尚史のファンである。
そのことについては以前、団鬼六先生のエピソードなどまじえて語ったことがあるが(→こちら)、そんなナメちゃんの今を知りたければ、『将棋世界』8号のインタビューを読むのがよい。
「行方尚史はなぜ変わったのか」
と題するそれは、構成がさすが人気コーナー「盤上のトリビア」でブイブイいわした山岸浩史さんということで、なかなかに読みごたえがあるものに仕上がっている。
そこでナメちゃんは長かった低迷期について自己分析し、
「(菅井竜也、佐藤天彦、中村太地という若手に大勝負で負かされて)彼らは若いのに、ちゃんと自分の将棋を持っている。なのに俺はいい年こいて寝技ばかりで、なんてダサいんだと」
「(ライバルの藤井猛や中座真とくらべて)彼らのようなインパクトのある戦術を出せなかった(中略)そのことにも自己嫌悪に陥っていました」
「(ライバルの藤井猛や中座真とくらべて)彼らのようなインパクトのある戦術を出せなかった(中略)そのことにも自己嫌悪に陥っていました」
などと、その苦しい思いを吐露していた。
「なんてダサいんだ」というのが、いかにも行方節だが、ともかくもそこに一貫していたのは、
「自分は日和った将棋を指している」
という、低迷時代に対する、くすぶった思いであろう。
行方の魅力の一つに、その理想主義的将棋感がある。
棋士には「勝ちと負け」という2種類の結末しか用意されていないが、そこにいたるプロセスには、様々な考え方やスタンスがある。
かつての大名人であり、行方の師匠である大山康晴のように「すべてが勝つこと」に直結している棋士もいれば、升田幸三から藤井猛、佐藤康光につながる「独創派」。
はたまた羽生善治のように、そういった「こだわり」にとらわれないことにより、自由で柔軟な発想を手に入れる棋士もいる。
そんな中、勝敗もさることながら、なによりも
「自分の納得いく将棋」
に、こだわる者もいる。そこにはかたくなな、
「将棋とはこうあるべきもの」
という定義があり。それからはずれた戦型や手を、たとえそれが自分に利するものであっても嫌がる。
もしそれで勝っても、まあ負けるよりはマシにしても、自己嫌悪におちいる。
大山や羽生が、どこか「将棋は悪手を指した方が負ける」と割り切っているのに対し、
「将棋とは良い手を指して勝つものだ」
と信じている。
こういう「理想型」の棋士は、ファンには人気を集めるが、勝負の場ではかなり損をしている印象がある。
それはそうだろう、「こだわり」「理想主義」というと、日本語ではポジティブなイメージもあるが、物事はなんでも裏表。
逆にいえば「古い」「意固地」「頭がかたい」などマイナスに転化するワードはいくらでもある。
特に、新陳代謝の早い現代将棋では、この理想主義的姿勢は、不利とまでは言わないまでも、効率的な結果を求めるには、おそらく不合理である。
それは、かつてなら升田幸三、加藤一二三、山田道美、真部一男、現代なら谷川浩司、佐藤康光、郷田真隆、藤井猛、山崎隆之、宮田敦史などなど。
いわゆる
「棋譜をみると、誰が指しているかわかる」
という面々は、その注目度の高さとくらべて、本来の実力より、いかにも「実績的にはがゆい」気がするではないか。
河口俊彦七段はその著書の中で、
「将棋において、理想主義者は常に現実主義者に敗れる」
と喝破したが、たしかに彼らを苦しめている(いた)面々が大山康晴、中原誠、羽生善治、そして今では渡辺明とあげていくと、河口老師の言葉には説得力はある。
A級を越えたSクラスの大棋士は、どこか良い意味で恩讐を越えたドライなところがある。
そういった、「損を余儀なくされる理想主義者」の系列に、行方尚史の名もまた存在する。
そのスタイリッシュで現代的なキャラとは裏腹な、ウェットで古く、どこか昭和の将棋指しのにおいがする。それが、行方の魅力でもある。
そんなナメちゃんの理想主義が各所にかいま見えるのが、このインタビューである。
中でも私が驚いたのは、王位リーグを振り返る場面での、対大石直嗣五段との一戦について。
関西若手の期待株相手に、行方は中盤で苦戦におちいる。
そこでナメちゃんは逆転に向けて勝負手を発する。角を打ち込んで相手陣の金を無理矢理取ると、それを中央に打ちつける。
苦戦を意識した行方は、△39角と打ちこみ、▲38飛、△48角成、▲同飛に△65金と打って、抱きついて行く。
最善手ではないかもしれないが、相手を迷わせるテクニックである。打ち合いでは不利と見て、クリンチやフットワークでかきまわそうという意図だ。
これは、粘り強い行方の本領発揮ともいえる指し回しで、私は
「さすが行方。これこそ彼らしい、しぶとい将棋だ」
と感じ入ったものであった。
ところがである。記事を読み進めると、これがてんで見当違いな感想だったことが、わかってくることになるのだ。
(次回に【→こちら】続く)