フランシス・フォード・コッポラ『カンバセーション…盗聴…』でフシアナ東京 その2

2024年07月18日 | 映画

 前回に続いて映画『カンバセーション盗聴…』の話。

 以下、映画のネタバレありまくりなので、未見の方はぶっ飛ばしてください。

 

 

 

 


 おもしろい映画だったが、最後にジーンハックマンの部屋にしかけられた盗聴器どこにあるのか謎が残った。

 2回目見たときも、結局これといたものは見つけられず、自分の洞察力のなさに少しガッカリ。

 まあ、論理的な解決なんてないんやろうなあ、

 

 「すべてがジーン・ハックマンの妄想である」

 

 という目くばせもないこともないし……。

 なんておさまっていたのだが、映画好きの友人イチジョウ君とその話をしていたとき、友が一言こう言ったのだった。

 


 「え? なに言うてるの? 盗聴器ってサキソフォンの中にあるんやろ、たぶん」


 

 これには思わず、叫びそうになったではないか。

 


 「フシアナトーキョー! フーゥ!!」


 

 「FUSHIANA TOKYO」というのは、TBSラジオの人気番組『アフター6ジャンクション』の視聴者参加型のコーナー。

 その趣旨とは番組ホームページによると、

 


▼SNSが発達した今の時代。隙のない発言や隙の無い作品が良しとされる、息苦しい風潮があります。しかし、そんな息苦しい時代の中で、本当に新しいものが生まれるでしょうか?

▼いい意味でFUSHIANAの目こそが、新しい時代を作るパワーを生み出すのではないでしょうか?(キャッチコピーは「時代に節穴をあけろ!)

▼例えば、あるスタッフは、「おかしの まちおか」というお店を、

 「おかしのまち・おか」

と読み、「おか」という店なんだと思いこんでいたそうです。また、とあるスタッフは

 「猿の惑星の最後に自由の女神が出てくる意味が分からない」

という見解も。しかし、こうしたFUSHIANAこそ、かえって創造的な発想を生むのではないでしょうか?

▼そんな、あなたのFUSHIANAエピソードを募集します。


 

 
 まさに「FUSHIANA」であった。

 あーそっかー、サキソフォンかー。

 言われてみれば、当たり前である。

 理屈でいえば、家じゅうのすべて破壊して見つからないなら、最後に残ったモノの中が答えというのは必然

 で、それがサックス。

 なぜサックスを壊して調べなかったのかといえば、それが盗聴怖れ、人を遠ざける孤独な人生を送っていたジーン・ハックマンにとって、唯一拠りどころだったから。

 たとえ、そこに解答があっても、「友人」を破壊するなんて、できるわけがないではないか!

 なるほど、腑に落ちた。そういうことか。

 私の愛するシャーロックホームズにいさんですやん。
 
 

 「不可能なことを全部排除して、最後に残ったもんが、どんなにおかしなものでも、それが事実なんや」

 
 
 有名な、このセリフですな。

 あー、ようできてるうえに論理的で、しかも余韻を残す。

 すげーな。コッポラちゃん天才やん。

 なんて感心しまくっていると、イチジョウ君はあきれたように、

 


 「いや、わりと簡単な答えや思うけど……。ちゅうか、キミって推理小説大好きやのに、逆にようわからんままスルーできたな」


 

 たしかに私は、子供のころから重度のミスヲタである。

 だが、自慢ではないが推理はまったく育ってないタイプで、

 

 「犯人当てができないから、解決篇まで、あまさずドキドキできる」

 

 という(?)なタイプなのだ。

 いやあ、とはいえこれは恥ずかしい。

 たしかに、言われてみれば一目瞭然やなあ。

 ただひとつワケを説明させてもらえば、1回目観賞時にあのラストを見て、

 

 「ボロボロになった家で、一人サックスを吹くっていうのはになるなあ」

 

 そう感心したものだから、

 

 「ジーン・ハックマンがサキソフォンを壊さなかったのは、論理的にはおかしいんだけど、あのラストの絵を撮るために、スタッフがあえて矛盾を残しつつも決行した」

 

 と読み取ったわけで、「ストーリーの都合上」そうしたと思いこんでいたのだ(しかし、ムダにたくさん「解釈」だけはしてるな、オレ)。

 さすがコッポラは映像屋や。話の整合性を犠牲にしても、「絵的美しい」を選択する、と。

 現実はそんな、ひねったものではなく、もっと素直に

 

 「サックスの中に盗聴器」

 

 でOKやと。邪推癖が、ここではアダになったようである。

 なんて、完全無欠にただの言い訳だが、われながらなかなか鮮やかな節穴である。

 昔、友人が『時をかける少女』を見て、


 
 「え? あの映画ってタイムトラベルをあつかってたん?」

 

 ビックリしているのを見たときは(なんの映画や思てたんやろ)、もう腹をかかえて笑ったものだが、人を呪わば節穴二つ

 なんでも、自分に返ってくるもんですねえ。

 トホホと情けない声をあげていると、イチジョウ君もその姿があまりに情けなかったのか、

 

 「気にすんな。オレも『シックスセンス』で、なんで最後にあの人があんなことしてるんやろって、わからんかったもんや」

 

 そうフォローしてくれて、それもまた、なかなかな節穴である。

 おたがいの思い出に浸りながら、われわれは「キミの節穴に乾杯」と『カサブランカ』のボギーのごとく杯を重ね合ったのだった。

 

 


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« フランシス・フォード・コッ... | トップ | ゆっくり、急げ 飯塚祐紀vs... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。