「ここで1手、落ち着いた手を指せれば勝てましたね」
というのは、駒落ちの指導対局で負けたときなどに、よく聞く言葉である。
将棋で難しいと感じる場面と言えばよく出るのは、序盤なら定跡が覚えられないとか。
終盤は詰みが読めないなどあるが、中盤戦では地味ながら、こういうのもあるもの。
「作戦勝ちから、うまくリードを奪ったものの、そこから具体的にどう勝ちにつなげるかが見えない」
将棋というのは
「優勢なところから勝ち切る」
というのが大変なゲームで、こういうときに手が見えず、焦ってつんのめって、いつのまにか逆転されるなんてのは、よくあること。
「ここで1手、落ち着いた手を指していたら……」
今回は、そういうときに参考になる将棋を紹介してみたい。
2001年の第59期C級2組順位戦。
飯塚祐紀五段と、武市三郎六段の一戦。
ここまで7勝2敗の飯塚は、自力昇級の権利を持っての大一番。
ここ3年は、8勝2敗、7勝3敗、7勝3敗の好成績を残し、昇級候補のひとりであった飯塚だが、すでにC2生活は泥沼の9期目。
また昨年度は、同じく勝てばC1昇級という最終戦で、豊川孝弘五段に敗れてしまったこともあって、今度こその想いは強かったことだろう。
戦型は後手番の武市が、急戦の向い飛車に組むと、飯塚はガッチリと左美濃で迎え撃つ。
むかえたこの局面。
おたがいに竜を作って桂香を拾い、角筋も通って、このあたりは互角の駒さばき。
ただ、後手は△43の銀と△32の金がはなれているのが痛く、先手持ちの形勢であろう。
とはいえ、決めるにしては先手も歩切れが痛いところで、まだここから一山と思わせるところだが、次の手が落ち着いた好手だった。
▲86歩と、ここを突きあげるのが、すばらしい感覚。
薄い後手の玉頭に、ジッと圧をかけながら、受けては△85桂から△33角という、王手竜取りの筋を消している。
武市は△51香と「底香」を打って、ねばりにかかるが、1回▲21竜、△29竜がキメのこまかい手順。
この交換を入れて、相手の大駒を使いにくくしてから、やはりジッと▲35歩。
▲21竜の効果で、これを△同角とは取れないのは、いかにもつらい。
これで自陣に憂いはなくなり、△22歩の受けに、またも▲85歩。
この牛歩戦術で、武市はまいった。
まさに真綿で首をギリギリと締めあげられる恐ろしさ。
飯塚はトドメとばかりに▲87香と、さらに万力に力をこめ、空気を求めて暴れようとする武市を冷静に押さえ、そのまま圧倒。
ついに念願だった、C1昇級を決めたのだった。
この▲86歩から▲85歩は、手の感触のよさもさることながら、人生のかかった勝負で、急がずこういう手を選べるところにシビれた。
飯塚の地に足をつけた強さを、大いに感じるところで、こういう感覚は見習いたいものだ。
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