ロマノ・ヴルピッタ『ムッソリーニ』を読む。
ベニート・ムッソリーニといえば、みなさまはどのようなイメージをお持ちだろうか。
イタリアの独裁者、ファシズムの祖というのが教科書的な答えだが、それ以上となると私と同様、おおむね、そんなにくわしいことは出てこないのではないか。
本書冒頭でも語られるが、ムッソリーニの歴史的評価値は低い。
それは日本のみならず諸外国も同じらしく、たいていが
「滑稽であわれな独裁者」
として語られがちである。
曲がりなりにもイタリアという、一応は大国のカリスマ的指導者だというのに、なぜそうなるのか。
理由としては、チャップリンが映画『独裁者』で描いたベンツィーノ・ナパロニのような、
「ヒトラーのバッタもの」
なあつかいや、第二次大戦における数々の伝説的敗北に彩られた弱いイタリア軍、いわゆる「ヘタリア」的イメージ。
少し歴史にくわしい人なら、独裁の地位をうばわれてから最後はパルチザンの手によって無惨に殺され、その遺体をさらしものにされた惨めな印象が残っているのかもしれない。
だが本書の前書きでは、そのような凡庸なムッソリーニ感を見事に一蹴する言葉が次々と並べられ、読者の脳天に一撃を食らわせる。
たとえば、フランスの作家フランソワ・モーリヤックはこう語っている。
「ムッソリーニによってローマの歴史は今も継続している」
ロシアの作家ゴーリキーは、
「ムッソリーニは優れた知性と意志を備えた人物である」
音楽家ストラヴィンスキーは、
「世界でムッソリーニをもっとも尊敬しているのは自分だ」
発明王エジソンはムッソリーニを「ヨーロッパ最大の人物」と、心理学の祖ジグムント・フロイトは「文明の英雄」と呼んでいる。
本来は敵であるはずのアメリカのルーズヴェルト大統領すら、
「現在の最大の問題を理解し、かつ解決する方法」
を示したことで評価し、やはり第二次大戦でライバルとして戦ったウィンストン・チャーチルも、
「ローマの精神を具現化した現在の最大の法律制定者」
とどめとしては、インドの英雄マハトマ・ガンディーすらもが、こういうコメントを残しているのだ。
「ムッソリーニは祖国の発展を望む、私欲のない政治家である」
どうであろうか。
ここまで次々とヘビー級のパンチをカマされれば、
「こりゃベニート先生、ただのマヌケやないぞ」
少しばかり姿勢を正そうという気にもなろうというもの。
そもそも、独裁者の典型とされるアドルフ・ヒトラーが師とあがめ、その政治理念や政策に多大な影響を受けたという人物こそがベニート・ムッソリーニだった。
ふつうに考えれば、そんな人物が無能なわけがない。
このムッソリーニ再評価の例をいくつかあげれば、たとえばチェコのズデーテンラントをめぐる場となったミュンヘン会談。
教科書ではヒトラーの駆け引きのうまさと、それに乗せられたネヴィル・チェンバレンの妥協的な姿勢が批判されているが、実際のところ、この会談の主導権を握っていたのはムッソリーニだったそうだ。
最初から理想的な着地地点を見極め、そのシナリオを描き、語学に堪能ゆえに終始イニシアチブを発揮していたのはドゥーチェ(統領)だった。
ヒトラーは、そのオマケのようなもの。
歴史的には「ナチの暴走を止める最後のチャンス」と描かれることの多い、この会談の糸を引いていたのは、実はイタリアだったという事実がシビれる。
他にも、独裁者といえば付き物である「虐殺」「人種差別」「強制収容所」ともムッソリーニは無縁で、それどころか敵対勢力に対して宥和的なのも、こちらのイメージを裏切る。
自らを売った身内や、なりふり構わず抵抗してくるパルチザンすらむやみに処刑をしない(できない)彼の態度は、むしろ指導者としては
「優柔不断」
「甘すぎる」
批判の対象となっていたそうだ。
実際、著者も
「ムッソリーニの弱点は平時では冷静とされるかもしれない、緊急時での決断力のなさ」
とはっきり書いている。それもまた「独裁者」のイメージと重ならない。
「即断即決」「鶴の一声」は独裁という体制の、メインディッシュともいえるメリット(反面デメリットでもある)のひとつなのだから。
また、最期の瞬間も、世界史の教科書には
「逃亡したところを発見され、惨殺された」
などとあり、これだと、あたかもムッソリーニが命惜しさにコソコソ逃げ隠れしていたようだが、それはまったく逆。
自らの人生と伝説の幕を閉じるには「死しかない」と、とっくに覚悟を決めていたそうだ。
その証拠に、彼は周囲から再三スイス亡命をすすめられながらも、これをキッパリと断っているという。
自殺でも逃亡でもなく、自らの意志で「殺される」ことを選んだ。決して「みじめに処刑された」わけではない。
ムッソリーニの毅然とした態度は、彼のあとにトップの座に着いたバドリオの、
「うむ、やはりイタリア人はこうでなくてはな」
そう深くうなずきたくなるような、情けなさもここに極まれりといった醜態の数々とくらべると、その覚悟のほどがうかがえる。
彼は明らかに、自らの地位と責任に自覚的な政治家であった。
こういう本を読むと、当たり前のことだが、
「なんでも、話を聞いてみんとわからんもんや」
ということを思い知らされる。
我々は人物を、歴史を、なんと自分の中にあるせまい知識と偏見だけで語ってしまいがちであることか。
なぜムッソリーニは、その実績とくらべると笑ってしまうくらい評価が低いのか。
それはまあ、歴史の常として、我が大日本帝国も笑い事ではない「負ければ賊軍」ということ。
うがった見方をすれば彼が有能だったゆえ、虐殺のような、「類型的な悪のレッテル」というのが少なかったからかもしれない。
つまるところ、良きにつけ悪しきにつけ、意外と「キャラが弱かった」ということかも。
そんな、新たな知的刺激をあたえてくれる本書は、ながらく手に入りにくく、古書価格もボッタくり料金だった。
そこをこのたびちくま学芸文庫から復刊されたので、ぜひ手に取っていただきたい。損はさせませんぜ。