先崎学『うつ病九段』が、ドラマ化されて話題を呼んでいる。
将棋のプロ棋士である先崎学九段が、2017年に突然の休場宣言をしたのには、おどろかされた。
「一身上の都合により」
というあいまいな理由が、心配と共にさまざまな憶測を呼んだが、フタを開けてみると「うつ病」という意外なもので、そのときの顛末と七転八倒の(という表現がピッタリな)闘病記が記されている。
妻にはなすと、少しやり取りがあった後、突然泣き崩れられた。私はそんな妻の姿を見たことがなかった。
「先崎学が将棋を指せないなんて……」といって、しばらく涙が止まらず、私はかけることばもなかった。
作中にあるこの一文が、内容をすべて表しているといってもいい。
私も発売されてすぐ読んだが、この本は「うつ病」のだけでなく、その人がもっとも魂をささげ、人生をかけて積み上げたなにかが、一瞬で無に帰す恐怖と絶望、そして回復への希望の記録でもある。
というと「なんか暗いのはヤダなあ」と思われる方も、おられるかもしれないが、そこは将棋だけでも文筆の才能でも鳴らす先チャンのこと。
本来なら陰惨になりそうな話なのに、あまりそれを感じさせることもなく読み進められ、「自分も持っていかれる」という心配はまったくない。
この本はとにかく、「うつ病」というものが、先崎九段の体験と、またお兄さんが優秀な専門医だったこともベースに、かなりくわしく描かれているのが目を引く。
「寝転んだ状態から、ただ起き上がる」
という行為に、こんな苦痛と労力がともなうなど、経験者にしかわからないだろうし、またそれを他者に伝えるのも至難。
先チャンも書いているが、「うつ病」の苦しさはそれ自体にくわえて、
「伝わらないこと」
「誤解」
「偏見」
というものが厳然と存在し、その「よけいな苦しみ」を周囲があたえてしまわないためにも、こういう本はもっと読まれるべきだろう。
このあたり、私も「うつ病」ではないし、ここまで重症でもなかったけど、心身のバランスをくずしてしまった一時期、その「伝わらなさ」に大苦戦したことがあるので、多少ながら共感はできるところはある。
かなり幸運にも、周囲に「理解しようとしてくれた」人が多かったにもかかわらず、
「どうすれば正確な状況が伝えられるのか」
ということに煩悶したものだから、
「甘え」
「仮病」
「かまってほしいだけ」
みたいな、弱者に妙なきびしさを見せる日本社会では、それが治療の足かせになるのは容易に想像できる。
ただこれは、自分が反対の立場になったとき、悩んでいる友人を見て
「それホントにィ?」
「大げさに言ってない?」
「もう、何回も聞いたって、その話!」
など、似たようなことを感じてしまうケースもあったから、そのあたり一概に
「理解しようとしない方が悪い」
とも言い切れないところもある。
うつ病に限らずだが、こういうのは自分も体験してみないと、なかなか実感はできないものなのだ。
仮に「理解しよう」としたところで、
「苦しんでいることはわかっても、それに対して自分がどう対処すればいいのかわからない」
立ち尽くすしかないストレスも相当で、このあたり私は、どちらの立場も経験したことがあるので悩ましいところだ。
そういった場面におちいったとき、やはり最後に頼れるのは「正しい知識」と「ケーススタディ」であり、先崎九段のこの本には、かなりそれがそろっている。
たとえば
「うつは心でなく脳の病気」
というのは、今では知られているとはいえ、案外と世間には浸透していないのではないか。
少なくとも、「甘えてるだけ」という偏見を凌駕するほどには。
「うつ病」というのは、決して他人事ではない病気である。
だから、自分がかかったとき、大切な人がそれで苦しんでいるとき、この両方にそなえて、ある程度のことは知っておきたいわけで、その入門書として本書はとても役に立つ一冊ではないだろうか。