「将棋界の一番長い日」とは、よく言ったものである。
高校野球なら夏の甲子園決勝。
テニスなら、トップ選抜のツアーファイナルやデビスカップなど、1年の総決算というか、
「勝っても負けても、これでおしまいかあ」
と感慨深くなるイベントというのが、それぞれの競技にあるものだが、将棋の場合は、なんといってもA級順位戦の最終局であろう。
元ネタは言うまでもなく、岡本喜八監督の大傑作映画『日本のいちばん長い日』
では、なぜにて将棋界ではこの日が「一番長い」のか。
「そりゃ、棋界最高峰である、名人戦の挑戦者が決まるからでしょ」
という答えは、間違っていないが「次善手」である。
前回は羽生善治と佐藤康光のタイトル戦を紹介したが(→こちら)、今回はコクのある順位戦を見てもらおう。
実はこの日の、本当のメインイベントというのは……。
2014年の第72期A級順位戦。
最終局で、三浦弘行九段と、久保利明九段が戦うことになった。
この期のA級は羽生善治三冠がぶっちぎりで、すでに挑戦権を獲得しており、最終戦の注目は降級争いに集中されることに
2枚の貧乏くじのうち、1枠は谷川浩司九段で決まっているが、もうひとつは屋敷伸之九段、郷田真隆九段。
そして三浦と久保の4人にしぼられている。
特に三浦と久保は、直接対決の鬼勝負。
勝てば文句なしの残留だが、負けて屋敷、郷田の両方に勝たれると陥落してしまう。
確率的にはかなり大丈夫そうだが、この程度の優位が逆転するなど、順位戦ではよくあること。
おそらくは両者とも「勝つしかない」という気合で本局に挑んだはずであるが、そうも言いきれないところが、他力がらみのアヤでもある。
戦型は後手の久保が、エース戦法のゴキゲン中飛車にすべてをたくすと、三浦は星野良生四段考案の、超速▲46銀型を選択。
序盤で久保が銀を中央にくり出し、ゆさぶりをかけると、三浦も強く応じて決戦に。
むかえたこの局面。
まだ序盤戦で優劣はついていないが、後手は金銀が玉の反対側にいて、まとめにくそうな形。
解説でも三浦が、やや指しやすいのではという評判だったが、次の手にはうならされたものだった。
△32歩と打つのが、中継を見ていて思わず「ほげえー」と声をあげさせられた手。
いい手かどうかは微妙だが、これはそもそも善悪を、うんぬんする類のものではないかもしれない。
やや押され気味なのを自覚しながらも「簡単には負けないぞ」という意思表示であり、折れてないという闘志の開陳。
昭和のボキャブラリーでいえば、これこそが「順位戦の手」というやつだ。
私は関西人であるし、かつて久保九段の地元である兵庫県に住んでいた知人の女の子と、ちょつとつきあえないかな、とか考えていたこともあったので(←それは関係ないだろ!)、この勝負はなんとなく久保寄りで見ていたのだが、この手を見て、
「こりゃ結果はともかく、大熱戦は必至やな」
ニンマリした記憶がある。
私好みの「根性入った」一手であった。
三浦は▲58飛と中央をねらい、△44角に▲同角、△同歩、▲42角から決戦に突入。
そこからも、双方力をつくしたねじりあいが展開され、大一番らしい見どころたっぷりの将棋に。
優劣については、やはり三浦が少しずつリードしており、久保も必死に貼りつくが、徐々に差が開きつつはあった。
むかえたこの場面。
形勢はやはり、先手の三浦が優勢。
久保もあれやこれやと手管を駆使するが、三浦も乱れず、どうしても差が縮まらない。
後手は受けの難しい形で、なんとか先手陣にせまろうと△64香と打ったところだが、ここでついにミスが出た。
ここまで終始一貫、序盤のリードをキープしてきた三浦だったが、とうとう根負けしたか、上手の手から水が漏れる。
後手は△67香成の一点ねらいだから、それを防いで▲78角(▲59角もある)と打っておけばよかった。
角を手放してもったいないようだが、守備に大駒を使う際は
「角は銀、飛車は金」
といわれるように、「▲78銀」とする感覚で受けておけばよかったのだ。
先手はその代わりに、▲56飛成とする。
竜を自陣に引きつけて手堅そうだが、ここでとうとう、久保にチャンスが到来した。
序盤で少し前に出られ、そこから時間にして10時間以上、手にして約130手。
その間、久保は苦しい局面をただひたすら、旧約聖書における「ヨブ記」のように耐え続けてきたが、ついにそれが報われるときがきたのだ。
(続く→こちら)