替え歌のすりこみというのはおそろしい。
人を洗脳し、思うままにあやつろうという試みは、オウムやFBIのMKウルトラ計画などなど様々あったものだが、
「一度とりつかれると、もうその通りにしか行動できず、元の人生に戻れなくなる」
という意味では、ゆかいで、よくできた替え歌というのは、その最たるかもしれない。
最近では『森のくまさん』がどうとか騒動があったけど、『隣組』と『ドリフのビバノン音頭』とか、『太陽戦隊サンバルカン』と『愛國戦隊大日本』など、私の中ではすでに「本家越え」されていると言っていい。
映画『戦場に架ける橋』で有名な『ボギー大佐』を、
「サル、ゴリラ、チンパンジー」
この歌詞で歌うなど、だれが最初に考えたのかわからないが、もはや「天才の仕事だ」と感嘆するしかなく、今さら
「元の歌詞はこんなんやで」
と持ってこられても困るくらいだ。
かように、強烈な「すりこみ力」を持つ替え歌が、「洗脳」を主目的とするCMで使われるのは必然というもの。
私も数々の名作替え歌で、「元歌詞クラッシュ」の憂き目にあった。
古い話で恐縮だが、私の世代だと『藁の中の七面鳥』はすべて、
「あっらこんなーとっころに牛肉が、たまねーぎーたまねぎあったわね」
としか歌えなくなる(そんなCMがあったんです→こちら)。
この曲を聞くと、運動会のフォークダンスではなく、ハッシュドビーフが食べたくなるのだ。
そのインパクトたるや、なぜか桜玉吉さんがマンガの中で頻出させたくらいのもので、今考えると、なにかこう絶妙に「イラッとさせる」要素があったらしい。
学校などで訊くと、
「あのCМ、なんかムカつくよな」
という声もよく聞いたし、当時のボキャブラリーからしても、
「そもそも、ハッシュドビーフってなんやねん!」
というつっこみも入るところだ。
下町育ちのガキに、横文字のメシといえばカレーかラーメンくらいなのである。
まあ、悪名は無名に勝るという意味では、これだけ視聴者の心をザワザワさせた、ハウス食品のヒット作といえるかもしれない。
食べ物関係でいえば、ベートーヴェンの交響曲第9番ニ短調もアウトだ。
俗に「歓喜の歌」といわれるアレだが、この曲にはじめて接したのが、1万人の第九とかではなく、これがどん兵衛のCM。
今だと、このCMといえば思い浮かぶのは上戸彩さんか、あるいはスマップの中居君といったところだが、私が子供のころといえば、山城新伍さんと川谷拓三さんでおなじみだった。
年末になると、年越しそば販売を見越して、けっこうどん兵衛のCMを見ることとなるのだが、そこで流れるのが歓喜の歌。
新伍&拓三が、合唱団を引き連れて歌う、その歌詞というのが、
「仕事納めだ正月近い みんなで楽しく天ぷらそば食べよう」
これが、歓喜の歌のメロディーに合わせて流れてくる(→こちら)。
これを毎年聞かされた私は、この曲といえば
「フロイデ、シェーネー、ゲッテルフンケン」
ではなく、
「しーごとおさめーだ」。
だれがなんといおうと、そうなってしまう。
学生時代、私はドイツ文学が専攻だったので、ベートーヴェンというよりシラーの詩としてこれを暗記したが、そんな自分でも、暗唱しながら脳内に流れるのはやはり、すべての人が兄弟にどうたらとかではなく、どん兵衛なのだ。
さあ、みんなも歌ってみよう。しーごとおさめーはー。
もう、あなたは、あの時代には戻れない。
のちに、この曲を再ブレイク(?)させる『新世紀エヴァンゲリオン』の第弐拾四話において碇シンジ君が、
「カヲル君、キミが何をいってるのかわからないよ!」
悲鳴を上げていたけど、私にははっきりと、あのメロディーとともにカヲル君が、
「楽しく天ぷらそばを食べよう」
と言っていることは、わかるのである。
(「ロッキーのテーマ」の替え歌編に続く→こちら)