「『ブレードランナー』はパクリ」問題と「もっと古典に触れるべきか」について その2

2023年07月26日 | 

 「若者は今の作品だけでなく、もっと古典にも親しんだ方がいい」

 

 というのは読書や映画など芸術鑑賞の際に、よくアドバイスされることである。

 そこで前回は「本当に古典を読んだり見たりするべきか」について語ったが、今回もそんなお話。

 

 これに関しては私も、ミステリならホームズからクリスティーコーネルウールリッチクレイグライス

 SFならハインラインフレドリックブラウンレイブラッドベリ

 映画ならビリーワイルダールイマルアルフレッドヒッチコック

 などなど、古典と呼ばれる古い作品も大好きだが、「タイパ」なんて言葉がはやるように昨今はコンテンツの数が多すぎて、とてもそんな時間など取れないのもわかるところだ。

 こうなると「優雅に古典」なんて夢のまた夢で、こうして書きながらもはなんで、あんなにたくさん本読んだり映画見たりできたんだろうと、ちょっと不思議な気分になったり。

 これに対しては、

 

 「それはわかるけど、オレはやっぱ《過去の名作》のすばらしさを若い子にもわかってほしい!」

 

 という意見もあろうし、まあ、それは私も本質的にはそうなんだけど、そこはねえ、そんなに気にしなくていいんじゃないかなあ。

 というのは、本当にその作品やジャンルが好きになったら、絶対に「古典をたどる」ようになるから。

 世のどんな「新しいもの」も、いきなりポッとから有へと生まれるわけではない。

 かならず、なにかからの「影響」を受けているものなのだ。

 となれば、これは中島らもさんも言ってたけど、人はその「好き」を探求したいため、どうしてもその「影響」を探っていかざるを得ない

 そうして時代をさかのぼっていくと、結局行きつく先は「古典」であるし、そこでようやく心から納得することができるのだ。

 

 「はー、すべてのはじまりは、ここやったんやなあ」

 

 よく言うではないか。クリエイターになりたかったら、好きな人の作品だけでなく、


 
 「その人が好きだった作品を、さかのぼって観賞してみなさい」

 

 かくいう私も、ミッシェルガンエレファントをバリバリ聴いていたときはドクターフィールグッドを聴いたり、筋肉少女帯の影響から町田町蔵に手を伸ばしたり。

 ビリーワイルダーから、エルンストルビッチプレストンスタージェスを観たり。

 さっきの中島らもから、東海林さだおボードレールを手に取った。

 今でも『名探偵コナン』の女性ファンが『機動戦士ガンダム』をせっせと勉強したりとか、そういうこともあるんである。

 また、私が受験生だったころは、

 

 「歴史を理解するためには「因果関係」が重要だから、学校の授業では『現代史』からはじめて、過去へとさかのぼって教えるべきではないか」

 

 なんて意見もあって、おもしろいなあと思ったものだけど、これだって発想は同じだ。

 「」を理解するためには、絶対に「過去」を知らなければならない。

 だから「古典もいいよ」派は、別にわざわざそこをアピールしなくても、

 

 「フッフッフ、キミらは今、若いからわからんかもしれんけど、その道を歩いている限り、この場所にくることは避けられへんのやで」

 

 余裕ぶっこいていればいいのだ。

 そうして私のように

 

 「今さらやけど、クイーンとかカーとかチェスタートン、いいっスね!」

 

 という「元若者」がやってきたとき、

 

 「やろー?」

 

 したり顔をしながらニコニコと受け入れてあげればいい。

 古典も新作も、両方好きなコウモリ派の私はそう思うのですね。

 

 

 


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