「『ブレードランナー』はパクリ」問題と「もっと古典に触れるべきか」について

2023年07月24日 | 

 「古典ミステリはおもしろい」

 ということで、前回チェスタートンブラウン神父の知恵』を楽しんだ話をしたが、こういうことがあると、いつも思うのは、

 

 「《古典》って、別に無理して読まなくてもいいよなあ」

 

 といってもこれは、

 「古典なんて古くてつまんねーんだよベロベロバーカ」

 ということではなく、時期の問題。

 私はでも映画でも、若いころからわりと古い作品も楽しんでいたので、人生の先輩たちからの

 

 「どんなジャンルでも、今のだけじゃなく過去の名作にも接した方がいいよ」

 

 というアドバイスにそれほど抵抗はないが、接してるからこそ

 

 「古い」

 「読みにくい」

 「そこまで時間が回らない」

 

 というヤング諸君の声も理解できる。

 そのコウモリ的立場からすると、「古典」自体に興味があるならいいけど、無理してまで観たり読んだりしなくていいと思うのは、この理由があるから。

 

 「本当に普遍性のある古典は、の作品にも息づいている」

 

 映画ファンの「あるある」で、若い子と『ブレードランナー』を見たら、

 

 「あの映画って、今やってる○○とか▲▲とかのパクリですよね。ヤバいッスよ」

 

 なんて言われて、

 

 「ちがうねん! その○○とか▲▲がパクッてんねん! 『ブレードランナー』はそのすべての大元ネタなの! みーんなが影響を受けてる偉大な作品なんやで!」

 

 憤慨するというのがあるが、これが結構本質的な話。

 先輩映画ファンは、こういう目にあうと、

 

 「今の子は『ブレードランナー』も観てない。もっと名作も観て教養を深めてほしい」

 

 となるわけだが、考えてみればその「観てない後輩」は実はすでに『ブレードランナー』を鑑賞しているともいえるのだ。

 彼ら彼女らが、「これ、見たことあるぞ」となるのは、そこ。

 そう、たしかにその後輩は『ブレードランナー』自体は観てないかもしれない。

 けど、明らかにそこから影響を受けた、感動して人生を変えられた、大人になったら『ブレードランナー』を作るぞと決意した、そういう今の作品を山ほど観ている。

 つまりは直接の接点はないが、長い歴史的観点から見れば、その先輩と後輩は「同じ道」を歩いていることに、なるのであるまいか。

 すぐれた古典というのは、かならず大量のフォロワーを生み出す。

 そして、技術は高まり、改善点はされ修正され、さらには「の問題」も取り入れることによって、様々に進化していく。

 そら、そういうのに接していれば「古典」はどうしても「古い」と感じてしまうわけだ。

 でも、それでいいんである。

 われわれは今でも常に、

 

 「最新の状態にブラッシュアップした古典」

 

 これを鑑賞しているのだ。

 『ブレードランナー』だけでない。シェイクスピアも、エドガーアランポーも、オーソンウェルズも。

 升田大山の名局も、『機動戦士ガンダム』もビートルズもみんなそう。

 だから私は、「古典」の楽しさを知っている立場だけど、ヤング諸君にはこう言うのだ。

 

 「古典もいいけど、最近のおもしろいヤツ楽しんでよ」

 

 それで「古典」のエッセンスは充分学べるし、われわれ「古典派」も彼ら彼女らと接することで新しいものを知ることができる。

 これでウィンウィンじゃないかなあと、思うわけなのだ。

 

 (続く

 

 

 


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