「大山先生は、全然手を読んでないんですよ」
というのは、大山康晴十五世名人の将棋を語るとき、よく出てくる言葉である。
前回は中田功八段の芸術的な三間飛車を紹介したが(→こちら)今回がコーヤンの師匠である、大山康晴十五世名人の振り飛車を。
羽生善治九段をはじめ、大山名人と指した人の多くが、
「そんなに深いところまで読んでいる感じがしない」
「なのにパッと見で、指がことごとく良いところに行くのがすごい」
といった感想をいだいているようで、また『先崎学&中村太地 この名局を見よ! 20世紀編』という本では、先崎九段による、
「大山先生は詰みのところが苦手だったんでしょうけど」
という発言があったり、どうも大山の強さは、トップ棋士の多くが武器にしている「精密な読み」に頼るものではなかったらしい。
まあ、若手棋士だったころはわからないが、晩年の将棋はそういった印象が強いようで、その「読まなくても指せる」秘訣はなんだったのか。
感覚か、それとも経験値か。
まあ、いわゆる「大局観」というものがズバ抜けていたのだろうけど、そうなると少し不思議なのが、大山が「受けの達人」であること。
将棋にかぎらず、サッカーや野球などスポーツもそうだが、こういった戦いは基本的に攻める方が気楽ではある。
簡単というわけではないけど、シュートをはずしたり、チャンスでヒットを打てなくても「無得点で終わる」だけだが、守備でエラーやファウルをすると「失点」が致命傷になりがちだ。
将棋も、攻めが受け止められても立て直しはきくけど、受けは1手間違えれば、そのままつぶされる恐れがある。
その意味では、受け将棋というのは水も漏らさぬ「ベタ読み」が必要とされ、その分の負担が大変なのだ。
ところが大山は、受けの達人にもかかわらず「読んでいない」というのだ。
そんなスタイルで、なぜか相手の切っ先をかわしてしまうのだから、そこが謎ではある。
となると、「これも、読んでなくてやってるの?」と、いろいろ疑問は出てくるわけで、今回紹介したいのは1987年の棋王戦、神谷広志五段との一戦。
大山の三間飛車に、神谷は左美濃に組む。
飛車角を大きくさばきあう、対抗形らしい戦いとなったが、終盤では神谷の攻め足が一歩早いように見えた。
後手の神谷が△48銀と食いついて、かなり攻めこんでいるように見える。
美濃囲いは▲49の金を責めるのが急所。
次、△49銀不成、▲同銀、△59竜のきびしい攻めがある。
「53のと金に負けなし」
の形で受けはむずしそうだし、かといって攻め合っても後手は左美濃が健在で、馬も使いにくく一手負けしそうだ。
神谷の金星かと思われたが、ここから大山がすばらしい組み合わせで、新鋭の希望を打ち砕く。
▲35桂と打つのが、大山マジックの第一弾。
金取りだから△同歩と取るが、そこでもう一丁、空いた空間に▲34桂と打つ。
タダ捨ての連打であり、にわかには意味がわからないが、王手だからこれも△同金と取る。
そこで先手は▲35歩。
ここで、2枚の桂を気前よく、くれてやった理由がわかる。
3筋にむりくり穴をあけ、攻めのスピードアップをはかろうという、終盤の手筋だ。
そして、この手にはもうひとつのねらいがあった。
カンのいい方なら、もう気づいたのではないだろうか。
そう、指しているのは「受けの大山」だ。
でもって、受けにはもっとも頼れる、「あの駒」がここで働いてくるではないか。
後手玉がまだ詰めろではないのを頼りに、神谷は△49銀不成と取って、▲同銀に△59竜とせまるが、次の一手こそが2連打の真のねらいだった。
▲27馬と引きつけて、これで先手が勝勢。
馬冠の力が強すぎて、先手玉に詰めろがかからない。
△48と、のような手には、ゆうゆう▲34歩と取って先手勝ち。
数手前まで、後手が
「固い、攻めてる、切れない」
の形で、いかにも勝てそうに見えたのに、桂の連打と馬引きで、あっという間に速度が入れ替わってしまった。
そう、あの桂馬の犠打2連発は攻撃と同時に、馬の進路を自陣まで一気に開通させる狙いがあったのだ!
一瞬の逆転劇で、なにがなんだかわからないが、ともかくもこれで先手が勝っている。
後手は△33金と引くが、ここで手番を渡しては勝ち目がない。
以下、▲34香、△51歩、▲33香成、△同銀、▲34香とカサにかかって攻めつけ圧勝してしまう。
いかがであろうか、この大山の見事なしのぎ。
△48銀とからまれたところから、受けきるだけでも至難なのに、それを「読まずに」やってのけるというところが、おそろしい。
あの馬を玉頭に使うというのが、なんともすごい発想だ。
おそらくはもう、
「これは、この形でだいたいしのげる」
体にしみついているのだろう。
もし本当にこれを「パッと見て」勝ちと判断できるのなら、それはもう超人と言わざるを得ないすごさである。
(木村一基と藤井猛の熱局編に続く→こちら)
(大山が米長邦雄に見せた、さらなら受けの妙技は→こちら)