将棋の絶妙手は美しい。
前回は、升田幸三九段による「升田式石田流」の名局を語ったが(→こちら)、今回もまた天才的な発想の手を。
「持駒を使えるのが、日本将棋の特徴です」。
というのは、将棋というゲームの特性を語るとき、よく使われるフレーズである。
たしかに、将棋の起源といわれるインドのチャトランガをはじめ、チェスや中国象棋のシャンチー、朝鮮将棋のチャンギ。
などなど、世界にある将棋系ボードゲームの多くに、持駒使用のルールがない。
これ(と「成駒」の存在)によって、日本将棋は終盤に行くほど「混沌」とする仕組みになっている。
将棋が「逆転のゲーム」と呼ばれるのも、おそらくはこの「持駒使用」の影響が大であろう。
今回は、そんな「持駒」の恐ろしさを体感できる一局を紹介したい。
1995年の王将リーグ。
羽生善治六冠と、丸山忠久六段との一戦。
この当時、羽生は前期の王将戦で、谷川浩司王将にフルセットで敗れ、
「あと1勝で七冠王達成」
というチャンスを生かせなかった。
大記録ならずという脱力感と、
「あの羽生でも、全冠独占はさすがに無理か」
という納得が、ないまぜになった「七冠フィーバー」だったが(「羽生七冠王」騒動については→こちら)、その後羽生は
棋王戦(挑戦者は森下卓・以下同)
名人戦(森下卓)
棋聖戦(三浦弘行)
王位戦(郷田真隆)
王座戦(森雞二)
並み居る強敵を退けて、保持していたタイトルを次々防衛。
六冠をキープしたまま、快進撃をさらに続けていた。
さらには、佐藤康光との対戦が進行中だった、竜王戦を防衛し、この王将リーグも勝ち抜けば、
「七冠王の夢ふたたび」
という状態にあったのだ。
期待に応えて、羽生は2連勝スタート。
ここで、曲者である丸山をしりぞければ、独走も視野に入ってくる。
戦型は先手の丸山が、急戦矢倉を選択。
丸山が仕掛けから桂得を果たすが、羽生もと金を作って反撃。
丸山は得した桂で、相手の飛車を攻めるという、そのころ得意としていた曲線的な戦いに持ちこんで、むかえたのが、この場面。
先手が▲73歩成として、後手が△75歩とタタいたところ。
▲同銀は当然、△39角で飛車銀両取り。
▲62と、の攻め合いは△53飛、▲74角成。
そこで、△76歩と取られた形が桂取りで、後手玉が固いこともあって、スピードで負ける。
先手の対応が、むずかしいようだが、ここで丸山が意表の手を見せた。
▲65銀と出るのが、力を見せた手。
一見タダのようだが、△同歩に▲62と、△53飛、▲74角成とすると、その効果がわかる。
単に▲62と、とするよりも、▲65で銀を捨てれば、△76歩には▲65桂と跳ねだす味があり、明らかにこっちのほうが得をしている。
控室の検討でも、これは好手とされた。
このころの丸山は新人王戦2連覇や、公式戦24連勝(!)など、株を爆上げしていた時期で、さすがの手の見えかただ。
このまま飛車が取れそうなので、先手が指せるのではといわれたそうだが、羽生は信じられないような、切り返しを用意していた。
△15角と、こんなところに打つ筋があった。
レーダーをかいくぐって、突然目の前にあらわれたような端角。
なんとこれで、この将棋はほとんど終わっている。
▲27飛には、△26銀とかぶせて食い破られる。
丸山は▲38銀と受けるが、このタイミングで△99と、と取るのが手順の妙。
僻地の駒を取るだけの、ゆるい手に見えるが、これで、次に△26香と打つ手に受けがないのだ。
▲52と、と攻め合うくらいしかないが、やはり△26香が激痛。
▲18飛に△52飛と一回取って、▲同馬に△27香成があざやかな決め手。
▲同銀に、△37角成で完全に網が破れた。
角と香たった2枚の攻めなのに、これで先手は駒の働きも連結も、すべてがズタズタにされている。
一方の後手陣は鉄壁で、飛車一枚では、まったく寄りつくことができない。
以下、丸山も▲24歩と突き捨ててから、▲29香と根性を見せるが、とても逆転の目はない。
そう、あの角打ちが見えてなかった時点で、すでに丸山の心臓は止まっていた。
この△15角という手は、出現した瞬間に相手の死を宣告する「デュラハンの角」とでもいうべき、必殺の一手だったのだ。
同世代のライバルを圧倒し、羽生はこれで3連勝。
その後、5勝1敗でフィニッシュし挑戦権を獲得すると、谷川王将にもストレートで勝利。
見事、前人未到の七冠王を達成したのだった。
(森下卓と阿部隆の熱闘編に続く→こちら)
(「羽生七冠王」誕生については→こちら)