前回の中村修王将戦に続いて、まだ荒削りだった、若手時代の羽生善治九段の将棋を。
将棋にかぎらず、才能と勢いのある若手が活躍するのは、どの世界でもおなじみの光景。
デビュー当時の羽生もそうだったし、続けてあらわれる村山聖、佐藤康光、森内俊之、先崎学、郷田真隆、屋敷伸之とか、今でも藤井聡太五冠を筆頭に伊藤匠五段とか服部慎一郎五段なんかも、いつ見ても勝っていて、周囲の棋士からすれば迷惑を感じていることだろう。
常に年間7割以上、ときには8割勝つ彼らだが、たとえ8割勝っても2割は負けるのが勝負というもの。
そこで今回は「勝って当然」のエリートが見せる2割の負けを、それも「え?」とおどろくレアな負け方を紹介してみたい。
1986年のオールスター勝ち抜き戦。羽生善治四段と関浩四段との一戦。
相矢倉のねじり合いから、先手の羽生が▲74と、と引いたところ。
銀桂交換の駒損ながら、と金が手厚く先手も指せるとの読みだったのだろうが、この構想はそもそも成立していなかった。
後手から次の手は△86歩だが、▲同歩に続く手を羽生はウッカリしていた。
△86歩、▲同歩に△55銀と出るのが、「次の一手」のような切り返し。
▲同歩とさせてから、勇躍△86飛と走り、▲87歩に△77歩成で一丁上がり。
▲同金寄に△46飛と、きれいな十字飛車が決まって後手優勢。
駒得なうえに飛車もさばけ、先手のカナメ駒である▲74のと金までも空振りさせて、痛快なことこのうえない。
その後も関が、丁寧な指しまわしで、期待の新人から金星。
これで羽生は、デビューからの連勝を6で止められ、プロ初黒星を喫する。
続いては1987年の名将戦。大内延介九段戦。
大内得意の穴熊に対して、羽生は銀冠からうまく指しまわす。
図は桂を交換したところで、これからの将棋だが、次の手が参考にしたい一着だった。
△25歩と、ここを突くのが、ぜひとも指に憶えさせておきたい感覚。
桂が手に入ったので、△26歩、▲同歩、△27歩、▲同銀、△35桂の穴熊崩しを見せながら、△24角とのぞく筋もできている、一石二鳥の味の良い手。
戦いが起こっているのが7筋なので、どうしてもそこに目が行きがちだが、視野を広く持って指すのが見習いたいところ。
そこからも羽生が順調にリードを広げ、この場面。
後手の勝ちは決定的で、ここから数手で終わるはずが、まさかの信じられないポカをやらかしてしまう。
すかさず▲78飛が飛車の横利きを最大限に利用する受けの手筋。
なんとこれで、受けなしに見えた先手玉に寄りがないのだから、羽生少年も目の前が真っ暗になっただろう。
先の図では先に△28銀成として、▲同玉に△27金を決めてから△39香成とすれば、せまい穴熊は駒を打つスペースがなく、投了するしかなかったのだから。
▲78飛以下、△28銀不成、▲同玉、△38金から飛車を奪って攻めるが、これがいかにも細い攻めで逆転模様。
▲38同飛、△同成香、▲同玉、△78飛に▲49玉と落ちて、後手の攻めは完全に空振りだ。
先手玉には詰めろもかからず、後手玉は飛車取りは残っているわ、▲24歩は激痛だわと収拾がつかない。
大内は「怒涛流」のパワーを見せつけ、あっという間に後手の銀冠を攻略。
まさかという着地失敗で、「天才」羽生善治にもこういうことがあるのであるが、こういうのをふくめて8割以上勝っているのだから、どんだけ強かったんやという話でもあるのだ。
(若き羽生と村山聖との熱戦に続く)
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