「あ、【銀が泣いている】って、阪田三吉のセリフやったんや」
なんておどろいたのは、ずいぶん昔の話であった。
先日、ここで十三世名人になる関根金次郎と、伝説の棋士阪田三吉の熱戦を紹介したが(→こちら)、それこそが
「銀が泣いている」
という有名なセリフで、おなじみな一局。
なんて、今でこそしれっと語ってみたりしているが、実はこの言葉の出所を、別の将棋の別の人のものだと、勘違いしていたことがあった。
それが、だれの将棋なのかと問うならば、これが升田幸三九段。
ヒゲの大先生と言えば、その強さや卓越した序盤感覚とともに語られるのは、当意即妙のワードセンス。
「初手▲76歩がアンタの敗着」
「升田がニラめば、動けぬ銀も横に動く」
などなど、ネタにしたくなるような升田語録には事欠かないが、そのせいでこの「銀が」も、すっかりそれだと思いこんでいたのだ。
では、どの将棋を見て、升田の「銀が泣いている」と思いこんだのかと言えば、1947年の木村義雄名人との一戦。
角換わりの将棋から、この図。
△34歩と銀を追った手に、▲24歩は△35歩と取られ、▲23歩成に△同金までが、棒銀ではおなじみの失敗図。
じゃあ、一回▲26銀と引いて、▲15歩、△同歩、▲同銀をねらうのかな。
でも、なんだか足が遅そうで、後手も△65歩とか仕掛ける手もあるから、間に合うかなあ。その前に、一回△81飛と形を整えておくかどうか……。
くらいが私のような「並」の発想だが、升田幸三はここで魅せるのである。
▲24銀と出るのが、「おー」と歓声の上がる特攻。
銀損になるが、△同歩、▲同歩で玉頭に拠点が残り、後手にプレッシャーをかけていると。
とはいえ、これはさすがに取るしかなく、△同歩、▲同歩、までは本譜も進む。
そこで、△同銀は▲同飛で、棒銀をさばかせておもしろくないから、木村は△81飛と引く。
▲71角の割打ちから、強引に金を取って、▲23に打ちこむ筋を警戒してのことだが、そこで、升田はさらに▲43角(!)。
すごい駒損になりそうだけど、大丈夫なんかいな。
△同金は▲23歩成で突破されるから、木村はここで△24銀と取り、▲同飛、△23歩。
駒損確定の先手は引いたら終わりで、▲32角成、△同玉、▲34飛と、大暴れしていく。
これらの手順については、升田曰く、
「阪田さんの追善会で、銀を泣かせるわけにはいかん、と思うた」
そう、この将棋は昭和22年(1947年)に、大阪は四天王寺本坊で開かれた
「阪田三吉追善会」
ここで指された席上対局だったのだ。
どうも子供のころの私は、この▲24銀のインパクトから、「銀が泣いている」を升田幸三の言葉だとすりこまれたようなのだ。
いやいや、大阪人なのに、これはお恥ずかしい。
で、この将棋なんですが、この局面自体は有名なのにもかかわらず、それ以上語られるところを、見たことがなかった。
それが不思議だったので、今回はじめて全部並べてみると、納得というのが、最後が「木村勝ち」になっているから。
やはり▲24銀からの攻めは無理筋だったようで、木村名人がしっかり受け止めてしまったのだ(全体の棋譜は→こちら)。
なるほど、負けてしまっては、そのあとのことは取り上げられないかもしれないが、最後は木村の寄せがきれいだったので、それを見ていただきたい。
図は△39飛の打ちこみに、▲79香と受けたところ。
先手の囲いは、片矢倉とか天野矢倉とか、今なら「藤井矢倉」でいいと思うけど、この形を攻略するのに、すこぶる参考になる指し方だ。
△86桂と打つのが、手筋中の手筋。
▲同歩は△同歩で、▲88歩と受けても、△87金で詰み。
▲86同歩、△同歩に、▲同銀でも△87角と打たれて、▲同玉なら△86飛から詰み。
その他、詰まされないような手はあるが、どれも一手一手で簡単に必至がかかる。
桂打ちに升田は▲88玉と逃げるが、△78金と打ちこんで、▲同金、△同桂成、▲同香。
そこで△79角、▲98玉、△86桂まで先手投了。
歩頭桂の連打が、目にあざやか。
▲同歩の一手に、△同歩まで受けなしで、木村名人の勝ち。
(阪田三吉の阪田流向かい飛車編に続く→こちら)
▲24銀は最善手なんですね。将棋は奥が深いです。
この銀出は最善だそうです(水匠2で5分解析)。△同歩⇒▲同歩⇒△8一飛、までは規定内で、次は「▲2三角打」が最善かつ互角でした。
以降は、△2四銀⇒▲3二角成⇒△同玉⇒▲2四飛⇒△2三歩打⇒▲3四飛⇒△3三銀打⇒▲3六飛、で一息つくそうです(依然全くの互角)。
しかしそれにしても、まさか▲2四銀が最善とは!升田九段は惜しかった&凄いですねえ。