「《居玉は避けよ》という格言が、最近は通じなくて困るんですよ」
というのは、将棋中継の解説でプロ棋士が、ときおり発するボヤキである。
将棋において、一番大事な駒はもちろん玉。
ルールをおぼえたら、まずはそれをしっかり囲うという感覚を、身につけるのが大事なのだ。
それが平成になったころから「藤井システム」や、山崎隆之八段の魅力的な力将棋。
また、近年どんどん将棋が激しくなっていき、相掛かりや横歩取りなどでも、居玉のまま最後まで突っ走るなんてケースも、そうめずらしいものではなくなってきた。
ただそれは、藤井九段の研究や、山崎八段の腕力、またAIによる精密な検証があるから指しこなせるわけで、いざ実戦だとプロでも「勝ちにくい」のはたしかなのだ。
前回は羽生善治九段が見せた、巧妙なと金作りを紹介したが(→こちら)、今回は、そんな「居玉は大変」なバトルを見ていただこう。
2004年、第17期竜王戦の決勝トーナメント。
1組優勝の谷川浩司王位・棋王と、4組優勝の渡辺明五段との一戦は、ベスト4をかけて戦う大きな一番だ。
先手の谷川が四間飛車から「藤井システム」に組むと、渡辺も得意の穴熊を目指す。
むかえた、この局面。
先手は大駒が目一杯使えて、角が取れるうえに、1筋と3筋に歩が立つから攻めにも困らなそう。
これで振り飛車の玉が、美濃か穴熊にガッチリ囲ってあれば先手を持ちたいが、いかんせん居玉である。
いつ流れ弾が当たるかコワイ形で、△78にいると金の威力もすさまじい。
事実、ここから渡辺は、その弱点を巧妙につく攻撃を見せる。
先手の次の手は簡単だが、その応手が谷川の意表をついた。
▲35銀と角を取った手に、逆モーションで△53銀と引くのが、おもしろい手。
▲61飛成には△62飛とぶつける。
飛車交換になれば、先手陣は△69飛の一発でおしまいで、これは先手玉のうすさがモロに出てしまう。
かといって受けるにしても、居玉なうえに、金も上ずっている先手陣は飛車に弱く、とても、まとめ切れるものではないだろう。
くやしいが▲65飛と引くしかなく、そこで△35歩と取り返して、▲13歩、△同香、▲25桂に△44歩。
角道を止めて、激戦だが穴熊の深さが生きる形に。
△62飛も残って、先手は依然、飛車を成ることができない。
以下、十数手進んでこの局面。
駒の損得こそないが、玉形の差で後手持ちのように見える。
ただ先手も、▲78銀と、と金をはずせば玉が広くなり、もうひとねばりできそうだ。
後手はそれを阻止しつつ、先手玉にせまりたいところだが、その通り、いい手があるのである。
△66桂とタダで捨てるのが、さわやかな軽妙手。
△78のと金にヒモをつけながら、▲58の金取り。
本譜のように▲同銀なら、△78と金が取られなくなるうえに、空いたスペースに△74角と打って絶好調。
これが飛車取りと同時に、先手陣の右辺に利かす左右挟撃の一打になっていて、これはまいっている。
▲87飛と逃げるしかないが△65銀とぶつけ、▲同銀、△同角、▲67銀に△69銀とからんで後手勝勢。
どうしても取り切れない、△78のと金が強力すぎる。
以下、後手は△86歩、▲同飛、△95銀から、強引に飛車を奪い取って、谷川玉を居玉のまま仕留めてしまった。
この将棋はまさに、居玉の「勝ちにくさ」がモロに出てしまった形。
当時、二冠を保持していた谷川でも、なかなか指しこなすのが難しいのだ。
あこがれだった谷川浩司に勝利し、
「信じられない気持ちだった」
という、まだ初々しかった渡辺明。
その後も勢いは止まらず、森内俊之竜王から初タイトルを奪い、一気にトップの座にかけあがるのだった。
(鈴木大介のすごい勝負手編に続く→こちら)
(竜王になった渡辺明の、佐藤康光との激戦は→こちら)