石村博子『たった独りの引き揚げ隊』

2016年02月12日 | 
 石村博子『たった独りの引き揚げ隊』を読む。

 タイトルからわかるように、大日本帝国敗戦後の満州から内地への引き揚げをあつかったノンフィクション。

 満州や朝鮮からの引き揚げ体験については、多くの人が本や証言を残しており、文庫版の解説で佐野眞一氏がいうように、たいていは重いものだ。

 ソ連軍進入後の略奪や強姦、かろうじて命は助かった人も着の身着のままの脱出行をよぎなくされ、そこでも野盗の恐怖、飢えや疲れにさいなまれ、16万人以上が道なかばで力つきたという。

 なもんで、佐野さん同様私も「そんな暗い内容だったらイヤだなあ」と、外地で苦労された方に若干失礼なことなど思いながら読みはじめたのだが、あにはからんや、これがえらいことおもしろくて一気読みしてしまったのである。
  
 この本が普通の引き揚げものと違うのは、主人公がまだ小さな子供であること。

 『10歳の少年、満州1000キロを征く』

 というサブタイトル通り、主人公ビクトル少年は、なんとあの広大な満州を、ひとりで走破。

 帝国崩壊の混乱いちじるしい大陸から内地帰還に成功するというのだから、なんともスケールのでかすぎる冒険物語ではないか。

 まずなにが目を引くといって、主人公「ビーチャ」ことビクトル古賀少年のとんでもないタフさ。

 日露のハーフで比較的頑健な体を持っていたことと、コサックの血が流れていることも関係しているのか、とにかく彼は元気である。

 なんたって、親とはぐれて、途中、同胞である日本人からも見捨てられる(ヒドイ!)。

 そんな極限状態にも関わらず、この10歳の少年は満州西部の街ハイラルから、日本行きの船が出る東部の港まで歩き通すのだ。

 食料も水も着替えさえもロクに持たない逃避行だが、ビーチャには独特の生命力とコッサクの修行で身につけた様々なサバイバル術といった、生きるための鋭すぎる嗅覚と技術があり、それらをフルに駆使して旅をするのだ。

 寝るときは体を冷やさないことが大切。小川があれば、そこには水がある。

 ということは、湿地帯があって流れてきた木の実が拾え、食べられる草も生えている。キノコもある。パチンコでクルミを撃ち落として口に入れる。

 動物性タンパク質がほしくなったら、こっそりとニワトリの卵を拝借する。

 ロシア人の家を見つけたときはチャンスだ。ハーフであることを生かして助けを求めると、白系ロシア人はたいてい親切にしてくれる、中国人は日本人を恨んでいることがあるから絶対にさけなければならない……。

 などなど、とても11歳(道中は同情を買うため10歳と申告していた)の子供とは思えない「生きるための力」にあふれているのである。

 いったい、まだ小さな子供のどこにこんな知恵と胆力がつまっているのかと感心することしきりだが、当のビーチャはといえば、この極限状態でも悲壮感などどこ吹く風で、死体から布や食料、果てはクツまで拝借し、どんどん歩く。

 その際、ロシア正教徒らしく十字を切り、死者の顔がハエにたかられないように、うつぶせにしてあげるやさしさも忘れない。

 こういう、なにげない余裕のようなものが、この命がけのロングウォークのさりげない見所になっている。

 なんという落ち着きなのか。普通なら自分のことだけに必死で、他者の(しかももう死んでいる)ために、そんなことはできなさそうなもんだが。

 佐野氏はこのビーチャのたくましさを、

 「『トム・ソーヤーの冒険』を彷彿させる」

 と書いておられるが、単独行になってからの姿は、どちらかといえば同じマーク・トゥウェインの創造したハックルベリー・フィンに近いのではないか。

 基本的には「町の悪ガキ」であるトムとくらべて、ビーチャとハックに共通しているのは、どこまでも野生児であること、良くも悪くも安気であること。

 そしてなにより、まっとうな社会生活になじめないがゆえに、「まっとうでない」状況に抵抗なくフィットできること。

 そんなタフすぎる11歳は、過酷な試練に打ちひしがれた日本人を見て、


 「日本人はとても弱い民族ですよ。打たれ弱い、自由に弱い、独りに弱い。誰かが助けてくれるのを待っていて、そのあげくに気落ちしてパニックになる」

 
 そう述懐するんだけど、まあ普通は住んでる国が一夜で消滅して、野蛮すぎる敵軍に攻め込まれたら、そうなりますって!

 世の中には「スポーツの才能」や「努力する才能」なんてものが存在するが、ビーチャ少年はまさしく、

 「崩壊した満州帝国からたったひとりで引き揚げてくる才能」

 にめぐまれてしたとしかいいようがない。すごい本ですわ、コレは。




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