下段の香に力あり 羽生善治vs谷川浩司 1994年 第64期棋聖戦

2021年07月29日 | 将棋・好手 妙手

 「はー、そう指すもんですかー」

 

 というのは、森下卓九段の解説で、よく聞く言葉である。

 これと「○○流ですね」というのが、森下先生の口ぐせ。

 その影響なのか、私も人の将棋を観ていて、思わず口をついて出てしまうことがある。

 前回は羽生善治九段の、めずらしい大悪手3連発を紹介したが(→こちら)、今回は羽生の、一見わかりにくそうな好手を見ていただきたい。

 

 1994年前期の、第64期棋聖戦

 羽生善治棋聖と、谷川浩司王将の一戦。

 1勝1敗でむかえた第3局。先手の谷川が、向かい飛車に振ると、羽生は棒銀で対抗。

 

 

 

 後手が飛車を敵陣に打ちこんで、指せるように見えるが、先手もができているのが主張点。

 △82もおかしな形で、バランスは取れているようだ。

 ただ、この馬取りに対する応手が、先手も悩ましい。

 ▲74歩みたいに受けても、△83歩とか、このをいじめられそうである。

 だがここで、谷川は軽妙な手を用意していた。

 

 

 

 

 

 ▲65歩と突き上げるのが、いかにもセンスのいい手。

 一見△84飛タダだが、それには▲66角が「詰めろ飛車取り」のカウンターで取り返せる。

 かといって、△65同飛▲68歩とでもガッチリ受けられて、これはつまらない。

 先手のが攻防に利いて手厚く、△82の銀も遊んで、これは振り飛車も充分やれそうだ。 

 それは冴えないと、羽生は△84飛と取り、あえて▲66角を打たせて勝負に出る。

 

 

 ▲22金の一手詰みを△33角と受け、▲84角と飛車を回収したところで、△98飛成を補充。

 次に△47香が激痛だから、先手は▲58金打と埋めるが、次の手が問題だ。

 

 

 

 形勢は、ほぼ互角

 先手は飛車の打ちこみがねらいで、8筋9筋のを取っていけば、美濃囲いの堅陣もあって、自然と振り飛車が勝つ。

 後手の切り札は△15歩端攻めだが、すぐ行って決まるかどうかは微妙なところ。

 どう指すのがセンスがいいか、首をひねりそうなところだが、ここでの羽生の手が意表をついた。

 

 

 

 

 

 △61香が、「はー、こう指すもんですかー」と声が出る一手。

 なんとも不思議な香だが、これが谷川も見えなかった好手だという。

 意味はもちろん、▲62角成の侵入や、▲61飛の打ちこみを消した手。

 こう見ると、変な形だった△82銀も、自陣にスキを作らない意図であり、指し手の連動性が理解できる。

 中盤で▲85桂と跳ねたのに、△82銀と引いたのは、一見退却に見せて、この香打ちまでの流れを想定した

 「自陣にを作らせない」

 という構想のたまものだったのだ。

 とはいえこれは、ちょっと打ちにくい香でもある。

 ただ受けただけの手だし、できれば香は、端攻めなどに使いたい駒のように見えるからだ。

 その思いこみにとらわれないのが、さすが羽生の強みで、事実、先手から、これ以上の攻めが難しい。

 以下、後手はを作り、好機に△15歩を発動させて1手勝ち。

 

 

 

 この手が、急所中のド急所。

 

 「美濃囲いは、端歩一本でなんとかなる」

 

 対振り飛車戦では、絶対におぼえておきたいキーワードで、これで先手は受けがない。

 ▲15同歩には、いろいろありそうだが、たとえば、△17歩、▲同香、△16歩、▲同香、△39銀、▲同金、△18金、▲同玉、△39馬くらいで必至。

 △66馬の位置エネルギーがすばらしく、金銀3枚の美濃囲いも崩壊。  

 シリーズも3勝1敗で、羽生が棋聖防衛を果たしたのだった。

 

 (村山慈明の絶妙手編に続く→こちら

 


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