前回(→こちら)に続いて『アオイホノオ』鑑賞記。
私がこのドラマにハマッたのは、「表現したい願望ほとばしるボンクラ男子」に感情移入してしまうからだが、もちろん内容もおもしろい。
監督をはじめ制作者側が本気で作っている。そのことが伝わってくるのがいいではないか。
日本のトレンディなドラマの大半が、スターだけ出てきて中身は(特に脚本と演技が)ヘッポコピーなものが多いのだが、ことこのドラマに関しては、なにかもうカメラの向こうから
「全力で《今まだ何者でもない若者》を悶絶させてやろう」
という心意気がひしひしと感じられる。
私も劇中の岡田さんや庵野さんの奇行、島本節としかいいようのない屁理……もとい熱い名セリフをゲラゲラ笑いながらも、第10話『見えてきた光』のSF大会のシーンで、思わず泣きそうになってしまった。
そう、庵野ヒデアキが叫ぶ、
「僕は笑いを取ろうとしたんじゃない。感動させようとして、これを作ったんだ!」
を地で行くシーンがあるのだ。
会場で自信作のオープニング・アニメを流す岡田トシオや庵野ヒデアキたち。ところが、どういった手違いか映像ははじまったのに音が出ていない!
「なんでや!」「全部台無しになってまう!」と大パニックにおちいる岡田さんや武田さんたちだが、なんとアニメの方は音が無くても観客に大うけ。
「おお!」「アカン、涙出そうや」「武田君、泣いたら負けやで」などと、一転歓喜につつまれるスタッフ一同。
そこでアニメの中の女の子を描いていた赤井タカミ君が、緞帳をつかみながら茫然と、こうつぶやくのだ。
「これが……ウケるということか……」。
このシーンを見たとき、私は思わずテレビを指さし、近所迷惑だから声には出せないけど心の中で叫んでしまった。
「そう! それや、それなんやー!」
この「自分が創ったなにかが、だれかに大ウケする」。これこそが「表現」することの最大最高のよろこび。
野球選手がホームランを打ったグリップの感触を忘れないように、碁打ちや将棋指しが絶妙手の感覚を指で覚えているように、スナイパーがターゲットの頭をぶち抜くあの瞬間のように。
この「ウケる」快感は一度味わったら、もう二度と忘れることはできない。
私がそれを知ったのは高校1年生、15歳の新人発表会。
あのとき、1年生代表でただひとり選抜され舞台に上がった私は、「ここは聞くところ」という仕草をすると観客が耳をそばだて、「ここで共感して」というところで「うんうん」とうなずくのを見、そしてとどめに、
「はい、ここが笑うとこですよ」
タクトを振り下ろすと、その一振り、一振りごとにバッカンバッカン笑いを取れたことに、すっかり酩酊してしまったものだった。
舞台でウケる。これこそは麻薬的快感。観客をあやつる支配感。大げさではなく、
「世界は自分の思うがまま」
そう感じられる万能感。そして、自分のやっていることが、こんなにもダイレクトに誰かを楽しませ、幸せにしている充実感……。
これは乞食同様、一度やったらやめられない。
あのときの私は、きっとあのドラマの赤井君と同じ顔をしていただろう。だからすごく、彼の気持ちがわかって……胸が締めつけられるような気がして……。
そうして、少しばかり泣けたのである。
「これが……ウケるということか……」。
島本流の熱い名セリフが点在されるこのドラマだが、もっとも私の心を射抜いたのは、赤井タカミ君のこのつぶやきだ。
これがウケるということ。世の「表現したいさん」は皆この一瞬の酩酊感が忘れられずに、報われるアテもない作品作りに精を出すのだ。
もう一度言うが、あのときの赤井タカミ君の目は、おそらく15歳だった私と同じものだ。
だから私は、売れようが売れなかろうが、才能があろうが無かろうが、プロだろうがアマだろうが、バカだろうがボンクラだろうが中2病だろうが。
一度でもあの衝撃を味わった、または味わいたいと熱望している若者を見ると、
「アホだねえ」
なんて笑いながらも、心揺さぶられずにはいられないのだ。
(続く【→こちら】)
■DAICON3のオープニングアニメは→こちら