約二六〇年の幕藩体制は身分制度と封建制度に基づく秩序。その秩序を揺るがす夷荻は悉くすべからく排除することが攘夷。
その秩序を護れない幕府は見限られ、雄藩主導の新政府が中央集権国家として成立し、開国したうえで富国強兵を実現していく過程は言わば、歴史における必然的な因果性にほかならないような気がします。
とはいえ、雄藩を主導した維新三傑のひとりである西郷隆盛は、攘夷という狂気としての言わば集合的無意識を統制したのかもしれません。
また、維新を主導した彼が西南の役をも主導したことについては、因果性では説明出来ない何かが潜んでいるような気がしてなりません。
征韓論が潰え、陸軍大将のまま中央から下野し、旧士族の不平不満を解決する英雄として認識された西郷隆盛。私利私欲を望まず、黙して多くを語らない彼を尊敬し従う側近自らが、彼の意を汲む過程で自らをも「英雄・西郷隆盛」と同一視してしまったのかもしれません。
「小さく叩けば小さく響き、大きく叩けば大きく響く」
歴史を紐解けば、大局的には因果性に支配されているようにみえても、局所的にはその変曲点においては、集合的無意識に宿る途方もない力を解放させてしまうプログラムが潜んでいるような気がしてなりません。
初稿 2016/03/05
校正 2020/12/18
写真 「上野の西郷さん」像, 1898.
撮影 2015/11/25(東京・上野恩賜公園)
その秩序を護れない幕府は見限られ、雄藩主導の新政府が中央集権国家として成立し、開国したうえで富国強兵を実現していく過程は言わば、歴史における必然的な因果性にほかならないような気がします。
とはいえ、雄藩を主導した維新三傑のひとりである西郷隆盛は、攘夷という狂気としての言わば集合的無意識を統制したのかもしれません。
また、維新を主導した彼が西南の役をも主導したことについては、因果性では説明出来ない何かが潜んでいるような気がしてなりません。
征韓論が潰え、陸軍大将のまま中央から下野し、旧士族の不平不満を解決する英雄として認識された西郷隆盛。私利私欲を望まず、黙して多くを語らない彼を尊敬し従う側近自らが、彼の意を汲む過程で自らをも「英雄・西郷隆盛」と同一視してしまったのかもしれません。
「小さく叩けば小さく響き、大きく叩けば大きく響く」
歴史を紐解けば、大局的には因果性に支配されているようにみえても、局所的にはその変曲点においては、集合的無意識に宿る途方もない力を解放させてしまうプログラムが潜んでいるような気がしてなりません。
初稿 2016/03/05
校正 2020/12/18
写真 「上野の西郷さん」像, 1898.
撮影 2015/11/25(東京・上野恩賜公園)