《認知》《認識》《意識》をテーマとして扱った初期三部作の延長線上に位置付けられ、ユング心理学におけるフレームワークを用いながら、《自我》の形成過程を描こうとした実験的作品のような気がします。
知覚によって認知した事象の特徴や意味を認識し、因果性に基づき論理的に解釈することが《意識》なのかもしれません。それが、「ハードボイルド・ワンダーランド」が示唆する世界観。
一方で、言葉に出来ないコンプレックスや想像も及ばない在ってはならぬイメージが夢の如く離散的に想起させるのが《無意識》なのかもしれません。それが「世界の終わり」が示唆する世界観。
ひょっとして、壁に囲まれた街はユング心理学における箱庭療法の暗喩。私と僕という一人称で綴る《意識》と《無意識》の二つの世界観が何らかの因果性と時間的連続性をもって認識し、自らの在るべき姿を《意識》したときにこそ、《自我》が芽生え、自らのなかで何かが終わり、何かが始まることを示唆しているような気がします。
初稿 2017/10/01
校正 2020/11/03
写真 旧大谷仏教会館の外壁の一部, 1933.
撮影 2014/02/11(大阪・御堂筋)
知覚によって認知した事象の特徴や意味を認識し、因果性に基づき論理的に解釈することが《意識》なのかもしれません。それが、「ハードボイルド・ワンダーランド」が示唆する世界観。
一方で、言葉に出来ないコンプレックスや想像も及ばない在ってはならぬイメージが夢の如く離散的に想起させるのが《無意識》なのかもしれません。それが「世界の終わり」が示唆する世界観。
ひょっとして、壁に囲まれた街はユング心理学における箱庭療法の暗喩。私と僕という一人称で綴る《意識》と《無意識》の二つの世界観が何らかの因果性と時間的連続性をもって認識し、自らの在るべき姿を《意識》したときにこそ、《自我》が芽生え、自らのなかで何かが終わり、何かが始まることを示唆しているような気がします。
初稿 2017/10/01
校正 2020/11/03
写真 旧大谷仏教会館の外壁の一部, 1933.
撮影 2014/02/11(大阪・御堂筋)