Liner Notes

観たこと、聴いたこと、読んだことを忘れないように印象に残った光景を栞として綴ってみました

§111「男の一生」(前野長康) 遠藤周作, 1991.

2021-03-06 | Book Reviews
 遠藤周作が描いた「反逆」(→§108〜109)、「決戦の時」(→§110)、そして「男の一生」は、尾張・前野家に伝わる古文書「武功夜話」に着想を得た知られざる事実を通じて、無意識に潜む真実に迫った戦国三部作だと思います。

 前野家は木曽川の水運と傭兵を生業とした土豪であり、長康は若かりし頃より豊臣秀吉に仕えた最古参の武辺者として但馬守十一万石の大名にまで出世しました。

 武辺者とは郡や城を領する侍大将を意味し、長康もまた武辺者という「ペルソナ」としての元型を無意識によって追求していたのかもしれません。(ペルソナも自我のひとつなのかもしれません)

 一方、長康の心に去来する三人の女性、信長の側室・吉乃、その面影を宿す栄、信長の妹・市の存在は、集合的無意識に潜む在るべき女性像としての元型である「アニマ」を示唆しているのかもしれません。

 さらに、栄を斬らざるを得なかった長康は、深い憤りと後悔を通して集合的無意識に潜む「影」という元型とも向き合わざるを得なかったのかもしれません。

 ところで、集合的無意識は人類が進化する過程で蓄積された記憶やエネルギーの貯蔵庫、元型はその記憶やエネルギーを覚醒させるイメージと考えられており、その元型を受容することが、在るがままの自分としての自己に近づくのかもしれません。

 晩年を迎え、若かりし頃より仕えた秀吉は人が変わり、長年連れ添った妻・あゆも亡くした長康が宣教師と会って悟ったことは、

「かの世にて亡き女房とふたたび会える。まことの故郷はこの世にはござらぬ」(下巻p323) 

 心から頼りにする者がこの世に存在しないと感じるときであっても寄り添ってくれる「永遠の随伴者」を感じるとき、ひょっとしたら、在るがままの自分と出逢えるのかもしれません。

初稿 2021/03/06
校正 2021/05/02
写真「武辺者という『ペルソナ』」
撮影 2020/11/15(京都・亀岡)