「永遠の随伴者」は遠藤周作が追求したテーマのひとつ。それを紐解く糸口とも呼べる自伝的な短編小説が「影法師」だと思います。
「母なるもの」へ寄り添いたいという想いは、無意識に潜む元型のひとつが心に働きかけるからかもしれません。
「そんなことで、神父さまになれると思うの」(p.19)
でも、息子の在るべき姿を夢見た母の言葉は、彼にとって「母なるもの」への畏怖と理想像としての神父にさえも反感を抱いてしまいます。
本来ならば、成長する過程を通して無意識に潜む幾多の元型に囚われることなく向き合うことによって、自らの在るべき姿としての自我が芽生えるのかもしれません。
ひょっとしたら、「母なるもの」からの期待を課せられた自分、そして母の期待を裏切り教会を追われた神父もまた、自らが投影していた自我という「影法師」に過ぎなかったのかもしれません。
人生において自我の喪失と再生を繰り返すなかで、ただ「母なるもの」へ寄り添いたいという想いだけが残り、それが在るがままの自分に他ならかったような気がします。
初稿 2021/06/19
校正 2022/02/25
写真 毘沙門天とその影法師
撮影 2020/01/19(東京・国立博物館)
注釈 救いの手を差し伸べる千手観音も永遠に寄り添う影法師なのかもしれません。
「母なるもの」へ寄り添いたいという想いは、無意識に潜む元型のひとつが心に働きかけるからかもしれません。
「そんなことで、神父さまになれると思うの」(p.19)
でも、息子の在るべき姿を夢見た母の言葉は、彼にとって「母なるもの」への畏怖と理想像としての神父にさえも反感を抱いてしまいます。
本来ならば、成長する過程を通して無意識に潜む幾多の元型に囚われることなく向き合うことによって、自らの在るべき姿としての自我が芽生えるのかもしれません。
ひょっとしたら、「母なるもの」からの期待を課せられた自分、そして母の期待を裏切り教会を追われた神父もまた、自らが投影していた自我という「影法師」に過ぎなかったのかもしれません。
人生において自我の喪失と再生を繰り返すなかで、ただ「母なるもの」へ寄り添いたいという想いだけが残り、それが在るがままの自分に他ならかったような気がします。
初稿 2021/06/19
校正 2022/02/25
写真 毘沙門天とその影法師
撮影 2020/01/19(東京・国立博物館)
注釈 救いの手を差し伸べる千手観音も永遠に寄り添う影法師なのかもしれません。