小林秀雄の「考えるヒント」(§146)に倣って各章のタイトルや文章も引用しつつ、考えるということはなにかを記した作品。
経済成長に伴う物質的な豊かさや表現の自由を謳歌しているかのように見える現代社会。でも目に見える物事に重きを置きすぎることで言葉を軽んじているのではないかという問いかけから始まります。
「この悪循環の中で忘れられていくのは、言葉は交換価値ではなく、言葉それ自体が価値なのだという、当たり前の事実である」(45頁)
言葉が、世論や流行、自らの主張や周りからの評価などに使われる手段に過ぎない場合は、考えているつもりであっても考えていることにはならないのかもしれません。
一方で、読み継がれる本に記された言葉には、時代の洗礼を受けて共感や感動をもたらす力が潜んでいるのかもしれません。
「私が言葉を語っているのではなく、言葉が私を語っているのだと気がつく瞬間というのは、人間にとって、少なからぬ驚きである」(49頁)
ひょっとして、その驚きの積み重ねが考えるということに他ならず、生きるということのような気がします。
初稿 2022/05/06
写真「考える人」オーギュスト・ロダン, 1926.
撮影 2018/11/03(東京・国立西洋美術館)
経済成長に伴う物質的な豊かさや表現の自由を謳歌しているかのように見える現代社会。でも目に見える物事に重きを置きすぎることで言葉を軽んじているのではないかという問いかけから始まります。
「この悪循環の中で忘れられていくのは、言葉は交換価値ではなく、言葉それ自体が価値なのだという、当たり前の事実である」(45頁)
言葉が、世論や流行、自らの主張や周りからの評価などに使われる手段に過ぎない場合は、考えているつもりであっても考えていることにはならないのかもしれません。
一方で、読み継がれる本に記された言葉には、時代の洗礼を受けて共感や感動をもたらす力が潜んでいるのかもしれません。
「私が言葉を語っているのではなく、言葉が私を語っているのだと気がつく瞬間というのは、人間にとって、少なからぬ驚きである」(49頁)
ひょっとして、その驚きの積み重ねが考えるということに他ならず、生きるということのような気がします。
初稿 2022/05/06
写真「考える人」オーギュスト・ロダン, 1926.
撮影 2018/11/03(東京・国立西洋美術館)