先の大戦下において、小林秀雄が著した批評文や語った講演内容について、終戦から約半年後に綴った短編集です。
無常という言葉には、思いのままに権勢を奮い続けることは叶わぬ歴史は繰り返されるといった、常なるものは無いという響きがあります。
「おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし」(「平家物語」, p.38)
言葉には、その響きや印象、時代などによって、その意味が固定観念として定着するのかもしれず、歴史という言葉もまたそうかもしれません。
「人間の歴史は、必然的な発展だが、発展は進歩の方向を目指しているから安心だと言うのですか」(p.39)
歴史とは何か?ただ、事実と事実の間に因果関係だけを見出すことは、本当に知っていることにはならないのかもしれません。
「記憶するだけではいけないのだろう。思い出さなくてはいけないのだろう」(p.62)
歴史を知ることは、たとえば、戦地に赴いた子供たちを待ちわびる母の言葉を介して、母の気持ちを自らの意識に再構築することもひとつなのかもしれず、それが「思い出す」ということのような気がします。
「無常ということ」は、他人事であっても自分事として「思い出す」ことができる言葉の持つ力を見失いかけた現代への警鐘なのかもしれません。
「無常ということがわかっていない。常なるものを見失ったからである」(p.63)
初稿 2022/05/14
写真 遊就館前に佇む「母の像」宮本隆, 1974.
撮影 2021/09/11(東京・九段下)
無常という言葉には、思いのままに権勢を奮い続けることは叶わぬ歴史は繰り返されるといった、常なるものは無いという響きがあります。
「おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし」(「平家物語」, p.38)
言葉には、その響きや印象、時代などによって、その意味が固定観念として定着するのかもしれず、歴史という言葉もまたそうかもしれません。
「人間の歴史は、必然的な発展だが、発展は進歩の方向を目指しているから安心だと言うのですか」(p.39)
歴史とは何か?ただ、事実と事実の間に因果関係だけを見出すことは、本当に知っていることにはならないのかもしれません。
「記憶するだけではいけないのだろう。思い出さなくてはいけないのだろう」(p.62)
歴史を知ることは、たとえば、戦地に赴いた子供たちを待ちわびる母の言葉を介して、母の気持ちを自らの意識に再構築することもひとつなのかもしれず、それが「思い出す」ということのような気がします。
「無常ということ」は、他人事であっても自分事として「思い出す」ことができる言葉の持つ力を見失いかけた現代への警鐘なのかもしれません。
「無常ということがわかっていない。常なるものを見失ったからである」(p.63)
初稿 2022/05/14
写真 遊就館前に佇む「母の像」宮本隆, 1974.
撮影 2021/09/11(東京・九段下)