大学三年生になる長女とアーディゾン美術館からの帰り道、偶然めぐり逢った彫刻に思わずつぶやきました。
「あっ、大阪の御堂筋で見た『ジル』だ!」
「Jill」という英語のスペルは女の子を意味するそうで、椅子につま先立って腰掛けるその彼女の姿は、なにかしらかの不安感と緊張感を漂わせつつも、誰かを待ちわびているのか、はたまた、なにかを判断しようとしているのかは分からないものの、なぜかしら凛とした印象を抱かせてくれるようです。
ところで、なぜそう思うのかを考えると、その像のモデルとなった人がそうであったかもしれませんが、御堂筋で見た「ジル」も同じように思いました。
ひょっとしたら、作者が彫刻によってなんらかの物語をその像に投影することで、観る人は無限の言葉から意味を選んで、眼の前に在る彼女の物語がそうであれ、そうでないとしても、自ずから分かる物語を存在させているのかもしれません。
初稿 2022/12/17
写真「ジル」 朝倉響子, 1988.
撮影 2022/07/10(東京・日本橋)
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写真「ジル」朝倉響子, 1993.
撮影 2015/03/21(大阪・御堂筋彫刻ストリート)
「あっ、大阪の御堂筋で見た『ジル』だ!」
「Jill」という英語のスペルは女の子を意味するそうで、椅子につま先立って腰掛けるその彼女の姿は、なにかしらかの不安感と緊張感を漂わせつつも、誰かを待ちわびているのか、はたまた、なにかを判断しようとしているのかは分からないものの、なぜかしら凛とした印象を抱かせてくれるようです。
ところで、なぜそう思うのかを考えると、その像のモデルとなった人がそうであったかもしれませんが、御堂筋で見た「ジル」も同じように思いました。
ひょっとしたら、作者が彫刻によってなんらかの物語をその像に投影することで、観る人は無限の言葉から意味を選んで、眼の前に在る彼女の物語がそうであれ、そうでないとしても、自ずから分かる物語を存在させているのかもしれません。
初稿 2022/12/17
写真「ジル」 朝倉響子, 1988.
撮影 2022/07/10(東京・日本橋)
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写真「ジル」朝倉響子, 1993.
撮影 2015/03/21(大阪・御堂筋彫刻ストリート)