深く腰をかけて、ゆったりと脚を組み、そしておもむろに両手の指を絡ませた姿が印象的な「ニコラ」。
その姿は誰かを待ちわびているのか、はたまた誰かを見守っているのか、その真意は掴みかねてしまいます。
ところで、モデルとなった人物の表情や状況を正確に描写しているというよりは、見つめれば見つめるほどそれがそうであるとあたりまえに言えなくなる感覚を抱かせる点はフェルメールの絵画と似ているような気がします。
ひよっとしたら、異なる視点から観れば自ずから分かれるその〈存在〉は、限りない言葉のなかから観る人自らが、それがそうであると分かる意味を〈生成〉して物語るのかもしれません。
初稿 2023/03/11
写真「ニコラ」朝倉響子, 1988.
撮影 2022/12/17(東京・中央区役所)
その姿は誰かを待ちわびているのか、はたまた誰かを見守っているのか、その真意は掴みかねてしまいます。
ところで、モデルとなった人物の表情や状況を正確に描写しているというよりは、見つめれば見つめるほどそれがそうであるとあたりまえに言えなくなる感覚を抱かせる点はフェルメールの絵画と似ているような気がします。
ひよっとしたら、異なる視点から観れば自ずから分かれるその〈存在〉は、限りない言葉のなかから観る人自らが、それがそうであると分かる意味を〈生成〉して物語るのかもしれません。
初稿 2023/03/11
写真「ニコラ」朝倉響子, 1988.
撮影 2022/12/17(東京・中央区役所)