お互いをしっかりと観ながら、穏やかな雰囲気を醸し出している「ニケとニコラ」。
「それ-なにそれ-あ、やっぱりね、あるいは、それ-どうして-ほらそうでしょ」※1
そんな二人が何を話しているのだろうか、となぜかしら聴き耳を立てたくなるように、観ている〈わたし〉も気になってしまいます。
ところで、眼前に広がる〈世界〉は、もしかしたら、〈わたし〉と〈あなた〉と〈それ以外〉の三人称に分かれるのかもしれません。
眼前の「ニケとニコラ」はそんな三人称であるにせよ、〈わたし〉がそれはそうであると考えることで、〈彼女たち〉の物語を〈生成〉し、そしてそこに〈存在〉させているのかもしれません。
"〈あなた〉を知ることは〈わたし〉を知ること"
だからこそ、お互いをしっかりと観ることができるのかもしれません。
初稿 2023/03/17
写真「ニケとニコラ」朝倉響子, 1986.
撮影 2022/12/17(横浜・関内)
注釈 ※1)§163「残酷人生論」 池田晶子, 1998.
「それ-なにそれ-あ、やっぱりね、あるいは、それ-どうして-ほらそうでしょ」※1
そんな二人が何を話しているのだろうか、となぜかしら聴き耳を立てたくなるように、観ている〈わたし〉も気になってしまいます。
ところで、眼前に広がる〈世界〉は、もしかしたら、〈わたし〉と〈あなた〉と〈それ以外〉の三人称に分かれるのかもしれません。
眼前の「ニケとニコラ」はそんな三人称であるにせよ、〈わたし〉がそれはそうであると考えることで、〈彼女たち〉の物語を〈生成〉し、そしてそこに〈存在〉させているのかもしれません。
"〈あなた〉を知ることは〈わたし〉を知ること"
だからこそ、お互いをしっかりと観ることができるのかもしれません。
初稿 2023/03/17
写真「ニケとニコラ」朝倉響子, 1986.
撮影 2022/12/17(横浜・関内)
注釈 ※1)§163「残酷人生論」 池田晶子, 1998.