題名のとおり、誰もが感じる問いのひとつなのかもしれません。たしかに時代を問わず「自分探し」に関する本等が書店に並んでいます。
とはいえ、「自分は誰なのか?」という問いは、自らの在るべき姿を追求する第一歩なのかもしれませんが、その答えを学歴や職業、社会的地位や役割に置き換えてしまいがちだと思います。
でも、敗けても劣っていたとしても、そのときの自分が期待した在るべき姿に向けた努力は報われるとは限らないものの、自分を裏切らないと信じたときに、その問いの意味は変わるような気がします。
「〜『自分とはなにか』という問いは、『自分はどんな生き方をしているのか』という問いに形を変える」(120頁)
ところで、人間は目に見える世界や目に見えない世界を言語という記号体系を駆使して認知しているのかもしれません。そして、自らの経験をも言語を介してなんらかの価値に変換しているような気がします。
「僕たちは、過去に経験したことがらを抹消したり他の人の経験と交換したりすることはできないものの、個々の経験の重みづけや意味づけを変えることで、同じ過去経験の素材を背負いながらも、まったく趣の異なる自己物語を打ち立てることができる」(139頁)
ひょっとして、〈自分らしさ〉とは、誰かからどう思われようとも、誰にも書き換えることができない、自分にとって価値のある物語を創り続けることのような気がします。
初稿 2021/12/04
写真 自分だけの物語
撮影 2021/12/04(東京・目白)
発行 2015/06/10初版 ちくまプリマー新書 236
とはいえ、「自分は誰なのか?」という問いは、自らの在るべき姿を追求する第一歩なのかもしれませんが、その答えを学歴や職業、社会的地位や役割に置き換えてしまいがちだと思います。
でも、敗けても劣っていたとしても、そのときの自分が期待した在るべき姿に向けた努力は報われるとは限らないものの、自分を裏切らないと信じたときに、その問いの意味は変わるような気がします。
「〜『自分とはなにか』という問いは、『自分はどんな生き方をしているのか』という問いに形を変える」(120頁)
ところで、人間は目に見える世界や目に見えない世界を言語という記号体系を駆使して認知しているのかもしれません。そして、自らの経験をも言語を介してなんらかの価値に変換しているような気がします。
「僕たちは、過去に経験したことがらを抹消したり他の人の経験と交換したりすることはできないものの、個々の経験の重みづけや意味づけを変えることで、同じ過去経験の素材を背負いながらも、まったく趣の異なる自己物語を打ち立てることができる」(139頁)
ひょっとして、〈自分らしさ〉とは、誰かからどう思われようとも、誰にも書き換えることができない、自分にとって価値のある物語を創り続けることのような気がします。
初稿 2021/12/04
写真 自分だけの物語
撮影 2021/12/04(東京・目白)
発行 2015/06/10初版 ちくまプリマー新書 236
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