
少し前の話ですが、長男が珍しく東京を訪れました。大学三年生の長い春休みに何か思うところがあったのかもしれません。
まったく縁もゆかりもないものの、偶然にも同じ名字を持つ写真家の没後初めての回顧展※を知り、これも何かのめぐり合わせと感じて二人で赴きました。
入場するとまもなく、「来るべき言葉のために」と題された目を惹く言葉が飛び込んできました。
「言葉がそのリアリティを失い、宙に舞う他ならぬ今、ぼくたち写真家にできることは、既にある言葉ではとうてい捉えることのできない現実の断片を、自らの眼で捕獲してゆく」
長男の後姿を垣間見ながら感じたのは、写真家であろうとなかろうと、日常に拡がる眼前の〈世界〉を何の疑いもなくあたりまえと思いこむのではなく、それがなぜそうなのかと問いかけることが、学ぶということのような気がします。
初稿 2024/03/12
写真「学ぶということ」
撮影 2024/02/17(東京・国立近代美術館)
※)「中平卓馬 火-氾濫」2024/02/06〜04/06
まったく縁もゆかりもないものの、偶然にも同じ名字を持つ写真家の没後初めての回顧展※を知り、これも何かのめぐり合わせと感じて二人で赴きました。
入場するとまもなく、「来るべき言葉のために」と題された目を惹く言葉が飛び込んできました。
「言葉がそのリアリティを失い、宙に舞う他ならぬ今、ぼくたち写真家にできることは、既にある言葉ではとうてい捉えることのできない現実の断片を、自らの眼で捕獲してゆく」
長男の後姿を垣間見ながら感じたのは、写真家であろうとなかろうと、日常に拡がる眼前の〈世界〉を何の疑いもなくあたりまえと思いこむのではなく、それがなぜそうなのかと問いかけることが、学ぶということのような気がします。
初稿 2024/03/12
写真「学ぶということ」
撮影 2024/02/17(東京・国立近代美術館)
※)「中平卓馬 火-氾濫」2024/02/06〜04/06
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