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朝倉響子が創り出したパブリックアートは、いろんな名前でさまざまな街に設置されています。
ひとつひとつの作品がもたらす印象もさることながら、ひとつひとつの作品とその名前を繋げて考えると、作者が意図したかどうかは別として、〈わたし〉の物語がそこに存在するような気がします。
どこで生まれ、どこの学校を卒業して、どこに勤めているとかいう何処ぞの何某ではない、〈わたし〉とはいったい誰なのか?
誰もが必ず経験する戸惑いや躊躇※1、心配や不安※2、問いかけと共感※3、そんな〈あなた〉を知った〈わたし〉※4が〈わたし〉であるということ。
眼の前のアンは、そんな〈あなた〉を知った〈わたし〉が椅子から立ち上がり、どのような道を歩むにせよ、しっかり歩むためのブーツをまとってこう言っているような気がします。
"〈わたし〉が〈わたし〉で在り続ければ、なにがあっても大丈夫"
初稿 2023/05/19
写真「アン」朝倉響子, 1992.
撮影 2023/03/03(大阪・松原)
注釈
※1)α26C「セーラ」, 1999.
※2)α27C「ミシェル」, 1993.
※3)α28C「アンとミシェル」, 1993.
※4)α29C「ソフィー」, 1986.
ひとつひとつの作品がもたらす印象もさることながら、ひとつひとつの作品とその名前を繋げて考えると、作者が意図したかどうかは別として、〈わたし〉の物語がそこに存在するような気がします。
どこで生まれ、どこの学校を卒業して、どこに勤めているとかいう何処ぞの何某ではない、〈わたし〉とはいったい誰なのか?
誰もが必ず経験する戸惑いや躊躇※1、心配や不安※2、問いかけと共感※3、そんな〈あなた〉を知った〈わたし〉※4が〈わたし〉であるということ。
眼の前のアンは、そんな〈あなた〉を知った〈わたし〉が椅子から立ち上がり、どのような道を歩むにせよ、しっかり歩むためのブーツをまとってこう言っているような気がします。
"〈わたし〉が〈わたし〉で在り続ければ、なにがあっても大丈夫"
初稿 2023/05/19
写真「アン」朝倉響子, 1992.
撮影 2023/03/03(大阪・松原)
注釈
※1)α26C「セーラ」, 1999.
※2)α27C「ミシェル」, 1993.
※3)α28C「アンとミシェル」, 1993.
※4)α29C「ソフィー」, 1986.
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