石田会館に向かう道を、左に曲がると、八幡神社があります。
石田神社とも呼ばれ、本殿の裏に石田三成一族と家臣の供養塔があります。
本殿
三成の辞世の歌
「筑摩江や 芦間に灯すかがり火と ともに消えゆくわが身なりけり」
「残紅葉 散り残る紅葉はことにいとおしき 秋の名残はこればかりとぞ」
墓石出土跡
昭和16年まで、石田家に関係があると思われる墓石(関ヶ原の後、この地の人が、徳川方の追及を逃れるために隠した)が埋められていたそうです。
この神社は、近隣の人々によって管理されているそうで、今でも三成がこの土地の人に愛されていることがうかがえます。
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