次は、織田信長の菩提を弔うため、秀吉が創建した総見院です。
本能寺の変の100日後、10月10日に大徳寺において織田信長の大葬礼が執り行われました。
そして、信長の一周忌に間に合うように豊臣秀吉が建立した寺院が総見院です。
開祖は大徳寺117世の古渓宗陳。創建当時は、広大な境内に豪壮な堂塔が立ち並んでいたといいます。
明治の廃仏毀釈により、堂塔伽藍や多くの宝物が灰燼と化してしまいましたが、大正年間に再興。1961年(昭和36年)に本山に安置されていた信長木像を再び迎え、380年忌を行いました。
創建当時から残る正門、土塀、鐘、鐘楼に、当時の雰囲気をわずかに偲ぶことができます。
土塀
土塀は、「親子塀」といわれ、塀の内部に塀がもう一つ設けられた珍しい二重構造になっています。
鐘・鐘楼
信長の家臣・堀久太郎秀政の寄進によるもの。
本堂
侘助椿
木が三本の枝に分かれ、その枝から紅白の花を咲かせるお茶人に珍重される椿。
樹齢400年で、日本最古の胡蝶侘助とされ、秀吉がこよなく愛したと伝わります。
信長公一族の墓
(中央が信長、右が信忠、左が信雄)
信長公をはじめ徳姫(信長公の息女)、濃姫(正室)、おなべの方(側室)など、一族七基の五輪石や墓が並んでいます。
帰蝶(右)と側室・お鍋(左)の墓
本堂に安置されている信長の木像は、高さ三尺八寸(115cm)、衣冠帯刀の姿を映した座像。
天正11年の作で、作者は運慶・湛慶の流れをくむ康清によるもの。
目がらんらんと輝いていて、威圧感のある木像です。
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本能寺の変の100日後、10月10日に大徳寺において織田信長の大葬礼が執り行われました。
そして、信長の一周忌に間に合うように豊臣秀吉が建立した寺院が総見院です。
開祖は大徳寺117世の古渓宗陳。創建当時は、広大な境内に豪壮な堂塔が立ち並んでいたといいます。
明治の廃仏毀釈により、堂塔伽藍や多くの宝物が灰燼と化してしまいましたが、大正年間に再興。1961年(昭和36年)に本山に安置されていた信長木像を再び迎え、380年忌を行いました。
創建当時から残る正門、土塀、鐘、鐘楼に、当時の雰囲気をわずかに偲ぶことができます。
土塀
土塀は、「親子塀」といわれ、塀の内部に塀がもう一つ設けられた珍しい二重構造になっています。
鐘・鐘楼
信長の家臣・堀久太郎秀政の寄進によるもの。
本堂
侘助椿
木が三本の枝に分かれ、その枝から紅白の花を咲かせるお茶人に珍重される椿。
樹齢400年で、日本最古の胡蝶侘助とされ、秀吉がこよなく愛したと伝わります。
信長公一族の墓
(中央が信長、右が信忠、左が信雄)
信長公をはじめ徳姫(信長公の息女)、濃姫(正室)、おなべの方(側室)など、一族七基の五輪石や墓が並んでいます。
帰蝶(右)と側室・お鍋(左)の墓
本堂に安置されている信長の木像は、高さ三尺八寸(115cm)、衣冠帯刀の姿を映した座像。
天正11年の作で、作者は運慶・湛慶の流れをくむ康清によるもの。
目がらんらんと輝いていて、威圧感のある木像です。
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何時も入口で覗いただけです!
見事な織田家一族のお墓は五輪塔でまとめられて非常にすっきりしています。
>樹齢400年で、日本最古の胡蝶侘助とされ、秀吉がこよなく愛したと伝わります。
わびすけ椿は素晴らしいですね!
特別公開に旅行の日程を合わすのが、なかなかできなくて、今回やっと見られました。
侘助椿・・・花が咲いたところを見てみたいです。