ライオンの詩 ~sing's word & diary 2

~永遠に生きるつもりで僕は生きる~by sing 1.26.2012

ライバルが好敵手とは限らない。

2019-08-16 00:24:09 | Weblog


ぴゃんは熱き人である。どうしようもなく。

僕らは少し大人になって、こうみんかへ顔を出すことも少なくなった。

時々ぴゃんから電話がある。話を聞いてみると、地元のヤンキーたちを集めてバンドをやらせるから、教えてやって欲しいとか、訳の分からないことを言いだしたりする。

仕方がないので行ってみると、ガチンコファイトクラブみたいなことになっていてりする。しかも、テレビ的なやつじゃなくて、リアルなやつ。

リアルさっき駅で盗んできたバイクでやって来て、リアルさっき決めたシンナーの匂いをプンプンさせて・・・僕はふと思うのである。・・・ぴゃん、おれは竹原慎二みたいに強くないから・・・負けちゃうから・・・とね。

ぴゃんは、こう思っているのである。こいつらをバンドで更生させよう!ってね。シングたちを更生させたみたいに、こいつらも更生させよう!ってね。

馬鹿馬鹿馬鹿。おれたちなんて、全然悪くなかったっつーの。

実際、何度か教えに行って、仲良しになって・・・そのあとどうしたんだっけなぁ。
やつらはもう来なくなっちゃったんだっけなぁ。やつらはやつらで忙しかっただろうしなぁ。

やつらのうちの何人かは、そのあとヤクザかヤクザまがいの仕事に就いて、死んでしまったっていう話を聞いた気がする。なにぶん、リアルガチなやつらだったものでね。

そんなぴゃんなものでね。余計なこと、やらなくていいことをたーくさんするものでね。それが生き甲斐、スクールウォーズの山下真治みたいなものなのでね。敵も多くてね。色々とあった。

バンドのライブの打ち上げを、ぴゃんの家でやったりする。
ぴゃんは早々に酔っ払ってしまい寝てしまう。
ぴゃんが寝た後も、みんなでワイワイ朝まで盛り上がったり。

たとえば、そこに未成年がいたりする。別に未成年がいたって構いはしない。酒が飲みたきゃ飲めばいい。ほどほどになら飲めばいい。自分の責任で。そんなものは当たり前の話である。
誰でも彼でも、酒が飲みたきゃ飲むのである。スーパーやコンビニで買って、勝手にそこら辺で飲むのである。そんなの昔から普通。普通のこと。なんの問題もない。はず。でしょ?

なんの問題もないはずのことが、どこでもかしこでも行われていることが、時々問題になったりする。

つづく。

ライバルの死に際し。

2019-08-15 23:57:04 | Weblog


例えば、酷いことをする人がいたり、酷いことをする人の話を聞いたり。
でも、そういう人は決してその酷いことの制裁を受けることはなかったりして。
たとえばそれは、杖を持ったお年寄りを目の前にして悪びれもせずに優先席に座り続けるサラリーマンだったり。
たとえばそれは、その優先席から立ち上がり、ドアが開くと共にホームへ駆け出し、エレベーターへ真っ先に乗り込み、「閉まる」ボタンをファミコン高橋名人の如く連打し、誰も乗せないまま一人で階上へ運ばれていくサラリーマンだったり。

なんでそんなことをするのかな?
なんのためにそんなことをするのかな?

君さ、ロクな死に方をしないよ。お天道様は見ているからね。

僕はそんなことをよく思う。
お天道様は見ているんだよ。
道徳って、そういうものだ。
この国の道徳なんてのは、もう腐っちゃっていて、「法律に触れてないんだから問題ない」なんて一国の総理大臣が胸を張って言ってしまうくらいだから、この国の道徳なんてのは、腐り切って溶けてもうなくなっちゃったのかもしれないけれど・・・
やっぱり、お天道様は見ているからね。

「ぴゃん」という人がいる。しんぐくんのアルバムのスペシャルサンクスのクレジットに名前が載っている。その「ぴゃん」である。

ちなみに、ぴゃんは死んでいない。まだ。

ちなみに、ぴゃんは僕のライバルではない。

ライバルとは、ぴゃんのライバルであり、宮崎さんという。宮崎さん、死す。の話。いや、まだ死んでいない。

今日の昼、ぴゃんから電話があった。

宮崎さんがガンになったから、お見舞いに行って来たと言う。
ガン末期、意識混濁であと二、三日の命だということらしい。

「よく行ったね」と僕は言う。

「うん、まぁ、色々とあったからどうしようかとは思ったけど・・・」とぴゃんは言った。


歴史を少し遡る。

バンドを始めた頃、町の公民館で練習をさせてもらっていた。
リヤカーを引いたり、チャリの荷台に大きなギターアンプを載せて運んだり、それはそれは大変だった。
その頃、町の公民館へ新卒で赴任してきたのが、ぴゃんである。

物置でタバコを吸っては怒られ、ホワイトボードに卑猥な絵を描いては怒られ・・・どうしようもない馬鹿な高校生の僕らの面倒を、ぴゃんは親身になって見てくれた。

町のおじいとおばあがカラオケをやるための防音室で連取をしていたのだが、毎回毎回、ドラムやアンプを運んでくる僕らのために、町に予算を請求してくれて、ドラムやアンプを買ってくれたのもぴゃんである。

僕らはぴゃんに育てられた。

つづく。

熱湯怖い?・・・少し、怖い。

2019-08-15 09:48:12 | Weblog


火傷ってのは、流水で冷やすのがいいってのは知っている。

でも、流水で冷やし続けるっては無理なもんだ。限度がある。

さいたま市の大きな病院で働く、ちょっと偉いベテランの看護師さんが、アドバイスをしてくれた。

「ビショビショの濡れタオルをあてていなさい」

特に冷やさなくてもいいらしい。濡れタオルをあててさえいればいいらしい。

だがしかし、冷やさないと痛いのである。キンキンに冷やさないと痛くて泣けてくるのである。

だから、濡れタオルの上にアイスノン。濡れタオルの上にアイスノンの足をクーラーバッグに突っ込んで。

結局、20時間くらい、クーラーバッグに足を突っ込んだまま過ごした。もちろん、アイスノンをちょこちょこ取り替えながら。

驚いたことに、あんなに痛かったのに、20時間後には痛みがすっかり消えていた。

やはり、専門家のアドバイスは凄いと言わざるを得ない。

少し水ぶくれなっている。ほんの少し。この程度で済んだのは、濡れタオル作戦のお陰だと思われる。

歩ける。

あっという間に歩けるようになった。

でも、靴は履けない。しばらくは、靴が履けない。

どう見ても、皮が柔らかすぎる。容易に全部剥がれてしまいそうだ。

今日は雨だしな。
台風、来てるしな。

もう少し、おとなしくしてるかな。

歩けないけど、ラッキーボーイ。

2019-08-13 23:19:38 | Weblog


そして僕は、ちょっと途方に暮れている (by 大沢シグユキ)

しばらく歩けなくなってしまった。

今朝のことである。

その前に、肋骨の怪我はだいぶ良くなった。自然治癒力とは凄まじい。全然安静にしてなかった。

「いてててて」と声を漏らしながら、腐葉土を250キロ、車に積み、車から降ろし、畑の畝に撒く。
「いてててて」と声を漏らしながら、30キロの重さの耕運機を降ろしたり積んだり。すぐに止まってしまう耕運機のエンジンのスターターコードを一日に150回も引っ張ったりする。

こんなことをしていたら、治るものも治らないよ!と思ったりしていたのだが、治るんだね。状態はだいぶ良い。

ウォーキングも、15キロくらいなら楽勝で歩けた。でも、時間がないから、普段は10キロにしていたりする。

で、今朝のことである。

夜中の2時に寝て、5時に起きる。5時半には、もう畑にいたりする。朝は涼しい。でも、6時半になるともう暑い。
耕運機を置いていない畑にいたので、鍬一本、男らしく鍬一本で畝を立てた。3リッターくらい汗をかいた。毎日こんなことばかりしている。楽しくて仕方がない。

9時頃に一度家へ帰ってきた。
最近のブームは、ドライベジタブル。野菜を天日で干す。食べる。うーん・・・あんまり美味しくないなぁ・・・とかやっている。

今朝は、ジャガイモとカボチャを干そうとしていた。
ジャガイモはアクが出るので、5分間塩茹でをきてこら干すといいらしい。

ジャガイモを切って鍋に投入して、その間にカボチャを切って・・・。5分経ったから、火を止めて、鍋を持って、シンクの前へ移動して、「あっ、ザル」と呟いて、シンクの下の扉に手を掛けて、その拍子に左手で持っていた鍋が傾いて、グラグラと煮立ったジャガイモ汁が鍋から溢れて、しんぐくんの左足にビシャーッとかかって・・・

一瞬何が起こったのか分からなかったなぁ。なぜならば、僕は靴下を履いていたんですよ。たぶん、これがいけなかったんですよ。熱さに気づくまでのコンマ数秒。靴下を脱ぎ捨てるまでの数秒。これがいけなかったんですよ。絶対。

大火傷ですよ。

最初はね、大したことないってね。浴室に駆け込んで、冷水で冷やして・・・でも、この季節、冷水じゃないんだよね。そこそこ生ぬるい水しか出ないの。だから、そこそこ冷やして、アイスノンをあてて。

足の甲が真っ赤っか。

それでも、まぁ、大したことないってね。ちょっと冷やせば大丈夫ってね。「今日の午後は緑豆の種を蒔きに行かなきゃな」なんて思っていたんですよ。

いやしかし、痛みは増していくばかり。もう、歩けないんだもの。アイスノンなんてすぐに溶けちゃうし。氷だって、すぐになくなっちゃうし。痛みは増すばかり。

それでも、ジャガイモとカボチャだけは干さなければ。ってね。続きをやるよね。うっすらと泣きながら。
ついでに、オクラと、シシトウと、ナスと、ゴーヤと、ネギと、ズッキーニと、キュウリを切った。

干しカゴを持って外へ出て、裸足にクロックスで外へ出て、火傷の箇所に触れるクロックス。泣けるね。痛すぎて目眩が・・・。

干し終わって、泣いたね。

午後になったら治るかと思っていたのだけれど、全然痛みが引かない。

夕方になれば治るんじらないかと願っていたのだけれど、全く痛みが引かなかった。

仕方がないので。退屈で死にそうになったので、クーラーバッグにアイスノンを入れて、その中に火傷をした足を入れて、ポーチに出て、収穫したまま放っておいたニンニクの保存作業をしたりして。
そのまま夜になったりして。まだ痛みは引かなかったりして。

そういうことなのです。しばらくは歩けないのです。なぜならば、たぶん、しばらくは靴を履けないのです。痛くて。長靴も履けないのです。痛くて。

マグロは泳いでいないと死んでしまうといいますよね。
競走馬は歩けなくなると安楽死させられますよね。

さて、しんぐくんの運命や、如何に。

まぁ、今日のところは、そんな感じです。

転んだ時は肋骨二本で済んで良かった。と思ったのだけれど、今日は、「足の甲の火傷だけでよかった」と思った。あぁ、なんてラッキーなんだ。

みんなも、大怪我には注意しましょうね。

音速のネギ。

2019-08-01 18:49:16 | Weblog


肋骨が折れてるネタ。の続き。

転んだから悲しくなったという話を書いたが、それはもう乗り切った。さすがのしんぐくんである。切り替えが速い。音速の如く速い。つまり、スーパーソニックしんぐくんということになる。ちょっとかっこいい。スーパーソニックしんぐくん。もう一回言ってみた。かっくいい。

転んで、左胸と左手首を負傷した。と書いた。運転が辛いと書いた。左手首の痛みは消えてきたが、左胸は相変わらず痛い。なぜなら、肋骨が折れているから。たぶん、三日では治らない気がする。そんな気がしてきた。残念だ。

何が痛いって、寝返りが痛い。寝返りとは、眠っている時に知らぬうちに打つもので、つまりは、無意識。無意識のうちに寝返りを打って、あまりの痛さに目が覚める。いててててて・・・と言う。それを100回。繰り返す。眠れないっつーの。

転んだ翌日の夜、つまり、昨日の夜。左の脇腹が痛いことに気がついた。いつ気がついたかというと、肋骨が折れているのに、ウォーキングへ繰り出し、歩いている時に気がついた。まいった。すごく痛い。肋骨が折れている場所くらい痛い。転んで脇腹を打つか?

痛む脇腹をツンツンと指で突いて、いてててててと言いながら想像するに・・・。
脇腹の肋骨も折れている。脇腹を打ったわけではなく、転んだ時にお腹を打ったのだな。一番下の肋骨が圧迫されて、脇腹あたりにヒビが入った。ここら辺りが正解ではなかろうか?肋骨なんてすぐに折れる。

つまり、寝返りを打つ時に、胸と脇腹に激痛が走るというわけ。だから、全然眠れないというわけ。眠れないからって死ぬわけじゃないから全然構わないんだけれどね。

昨日は、途中で脇腹が痛いことに気がついたからウォーキングは8キロに減らした。今日は、安静の意味も含めて、6キロくらいにしておくかな。どうするっかな。

写真は、水たまりに埋まったネギ。ネギって強い。水たまりに埋まっても、しっかりと生きている。

そんなネギに、僕もなりたい。

二種類の人間。

2019-07-31 17:07:44 | Weblog


昨日の夜から、ちょっと悲しい。ちょっとだけ悲しい。

この世界には二種類の人間がいる。
「転ぶ人間と、転ばない人間」

昨日、転んだ。

だから、ちょっと悲しい。

真夜中、道端で転んで、うつ伏せになったまま、しばらくの間立ち上がらなかったのは、痛かったからじゃなくて、悲しかったから。

あっ、おれ、転ぶ人間じゃん。というわけなのである。

なんで転んだのかなぁ?

左胸の肋骨が折れている。と思われる(推測)。左の手首も負傷した。不便である。痛いというのは、不便なのである。

なぜ肋骨が折れていると思うのかというと、この人生で、三度ほど、肋骨を折っているからである。肋骨を折ると、だいたいこんな感じだ。すげぇ痛い。
咳をすると痛い。くしゃみなんてしようものなら、銃で撃たれたような痛みが走る。銃で撃たれたことないけど。

ちょっと悲しいし、結構痛いから、今日の午前中は安静にしていた。暑いし。でも、冷房ないし、暑いし。退屈だし。暑いし。

畑へ行ってみよう!と車に乗ってみたが、ミッションの操作に難がある。ギアをセカンドに入れる時に激痛が走る。手首と胸に。「くそぉ!なんで転んだんや!」と、また悲しくなる。

何が出来るわけでもないのだけれど、悲しみを抱きながら、畑の隅っこに座っている。

いやしかし、この程度の怪我で良かった。この程度の悲しさで良かった。下手したら入院してたかもしれないしな。そしたら、こんな悲しみじゃ済まないしな。

あぁ、おれは幸せだなぁ。

そんなことを想いながら、畑の隅っこに座っている。

三日くらいで治るといいなぁ。

退屈は、嫌だよ。

この世界には二種類の人間がいる。
「肋骨が折れている人間と、折れていない人間」。

トマトの分け前。

2019-07-26 15:35:20 | Weblog


台風が来る。らしい。ほんとか?

すごい風が吹いている。台風が来るのか?ほんとか?

トマトの棚の支柱が、強風に煽られて、片側が抜けかけて、グラグラとしている。台風が来るんですね・・・。

軽く補強しました。あくまでも、軽くね。

今年は、今年のトマトは、ソバージュ栽培。

ソバージュ栽培ってなんだ?ってことなんだけど、よくわからない。

有機農業師匠が言っていた。春先に言っていた。

「今年はね、ソバージュ栽培をやってみようと思うんだ」

ソバージュ栽培?

ソバージュ栽培ってなんですか?

「ずばり、放任」

放任!!!

おれも、ソバージュ栽培、やる!

ということで、今年のトマトはソバージュ栽培。


トマトってのはね、普通、トマトってのはね、枝と葉っぱの間から生えてくる脇芽ってやつをどんどん摘んでいくのです。そうしないと、ジャングルに、トマトジャングルになってしまうからね。
脇芽を摘んで摘んで、毎日摘んで摘んで、一本の主枝をグングンと伸ばして、五段目くらいまだトマトを収穫。一段に5個のトマトが成ったとして、一本から25個。まぁ、虫に食われたりカラスに食らわれたり、25個は採れないけどね。薬をやれば取れるかもしれないけど。

毎年20本くらいのトマトを植えて、20かけることの25個で500個のトマト。まぁ、そんなに採れたことはないけどね。薬をたっぷりやれば採れるかもだけどね。

毎年50個くらいですかね。100個くらいですかね。そんなに多くは採れない。

トマトってのはね、水をあげない方がいいとかね。言う。トマトってのはね、肥料をあげない方がいいとかね。言う。その方が甘くなるってね。言う。
だから毎年、水をあげず、肥料もやらず、甘いトマトを、少しだけ食べる。少ししか採れないから。

しかし、今年はソバージュ栽培なんですよ。放任なんですよ。
放任するってことは、脇芽を摘まないってことで、脇芽はどんどん伸びるわけで、それはトマトジャングルになるってことで・・・。
そうなると、普通に考えて、一万個くらいのトマトが成るような気がするわけで・・・大丈夫なのか?って思うわけで。

ちなみに、隣の畑のオオホリジージは、毎年、脇芽を摘まない。なぜならば、脇芽を摘むのは可哀想なんだそうだ。
つまり、オオホリジージのトマト畑はいつもジャングル。
トマトジャングルになるとどうなるか?実が付きすぎて、栄養が分散してトマトが大きくならない。
だから、オオホリジージのトマトは、ギネスに載るくらい小さい、マイクロトマト。赤ちゃんの小指の爪くらい小さい。

そんなトマトは食べたくない。

オオホリジージのトマトは、ソバージュ栽培ではないからね。ただの放任トマト栽培。

僕がやっているのは、ソバージュ栽培。

ところで、ソバージュ栽培ってのはなんなんだろうか?
調べろって話なんだけど。なるなら調べろって話なんだけど、調べない。すぐになんでも調べるくせに、ソバージュ栽培は調べない。なぜか?んからない。調べたくない。考えながらやりたい。

放任してもトマトが小さくならない方法を考えたい。

おそらく、肥料だろう。いや、間違いなく、肥料だ。肥料に決まってる。

だから、僕は、せっせと、手作りのボカシ肥料ってやつをトマトの畝に撒いている。

順調にいけば、一万個。順調にいかなくても五千個くらいは採れればいいなぁと思っている。ははは。

今日、畑に来たら、赤くなりかけのトマトが、カラスに突かれてたくさん地面に落ちていた。

いいんだよ、カラス君。食べたまえ食べたまえ。だって、僕のトマトは一万個もあるんだから。百個くらいなら分けてあげるよ。

長嶋茂雄的な人に会ってみたい。

2019-07-23 17:16:14 | Weblog


暑いなぁ。ただただ暑い。ちょっと苦しい。きっとこれは、熱中症の二歩手前ってやつだな。

尋常じゃない汗をかきながら、畝を立てている。すぐに胸が苦しくなる。これは、きっと、熱中症の二歩手前ってやつだなぁと思いながら。

嵐山の西だから北だかの隣町は小川という町である。
小川町は知る人ぞ知る有機農業の盛んな町なのである。
日本の有機農業の世界の長嶋茂雄的な人が居たりもする。その長嶋茂雄的な人の弟子たちもたくさんいたりする。長嶋茂雄的な人の弟子たちのそのまた弟子たちもいたりするから、よほど有機農業が盛んな町なのである。

僕の二号畑の隣の畑は、その長嶋茂雄的な人の一番弟子と謳われている人の畑である。かなり大規模な農業を営んでおり、年商三千万円だとか。もちろん、僕の畑の隣の畑などはそのほんの一部分であるわけで、たくさんの土地でたくさんの作物を作っているのである。

ちなみに、その長嶋茂雄的な人の一番弟子の人を、僕は、心の中で師匠と呼んでいる。
畑を始めた時から、ちょこちょこと質問したりしている。トーシロー日本代表のような僕の質問にも、優しく丁寧に答えてくれる、ステキな人なのである。

なかなか会えないので、僕は、いつも、師匠に会えた時のために質問を用意している。

さっき、師匠に会った。

「大豆の種まきは、7月の半ば」。色々な人からそう聞いていた。

そう、今まさに7月の半ば。いや、もうすでに7月の下旬。ちょっと遅い。しかし、雨だったから。

僕は言った。師匠に言った。

「黒豆蒔いたんですよ」

師匠は言った。

「黒豆は早いんだよ。6月には蒔かないと」

えっ?まぢで?

僕は言った。師匠に言った。

「青山在来を今から蒔こうと思ってるんですよ」

師匠は言った。

「青山在来は10日までには蒔いてないとダメだよ」

えっ?まぢで?


そんなわけで、頑張って畝を立てている。

青山在来と言う名の緑豆と、白大豆を早急に蒔かないといけないからね。

さぁ、梅雨が明けるぞ。暑い暑い夏がやってくるぞ。
怖いなぁ怖いなぁ。今年の夏は暑そうだ。

写真は、ロマネスコという名の、ブロッコリー的な野菜だよ。

さぁ、歌おう。ランランラン。

2019-07-13 09:53:47 | Weblog


畑に来ています。

畝を立てています。

昨夜は、さぁ、とうとう、いよいよ、陶芸やるか!と思った矢先、すごく眠くなってしまい、さぁ、寝るか!となってしまい、寝ました。

全然、陶芸やらないじゃーん!

で、すごく早起きをして、陶芸をやるはずだったんだけど、天気予報を見たら、「午後から雨だなぁ」「さらに、明日も雨かぁ」「陶芸出来ちゃうなぁ」「むしろ、陶芸しか出来ない日じゃないか」ということになり、早朝から畑へ繰り出したというわけなんです。こればかりは仕方のない事なんです。

結局、陶芸、やらないじゃーん!というわけなんです。

大丈夫。いつだって、帳尻は合うんです。レコーディングでもなんでも、いつも最後は帳尻は合ってしまうんです。
ただ、ただ、最後の最後は、いつも、死ぬほど辛くなるんですけどね。「時間がなーい!」と叫びながら、泣きながらやるんですけどね。
えぇ、そういう性格なんで。病です、これは。病なんです。


出戻り畑にいます。

何度も何度も水没して、全ての作業が水の泡になって、二年前に逃げ出した畑に、春先から戻っています。

相変わらず、水分だらけの土地でして。何をするにも大変なのです。

ここは、瓦屋の親方の親戚の土地でして。つまり、僕は親方からまた借りをしているようなものなので、親方の言うことは絶対!なんです。

僕に割り当てられた畑は、親方の畑よりもずっとらずっと水分が多いのです。なぜならば、傾斜地だから。すべての水分は、僕の担当の土地へ流れてきて貯まる。ひどい土地です。ドイヒーな土地なんです。

親方の土地は、少しマシです。なんとか耕せます。他の土地と比べたら、親方の土地もひどいのだけれど、僕の土地と比べると、天国にも見えてしまうくらいです。

だから、僕は言いました。

「ねぇ、ちょっとさ、ここ、貸してよ。大豆植えるから」

親方は言いました。

「うーん、ここの土地は少し休ませようと思ってるんだよね」

僕は思いました。

おまえ!ジャガイモしか植えてないじゃーん!
おまえ!休ませるも何も、おまえ、雑草だらけの中にジャガイモ一回植えただけじゃーん!

そんなこんなで、親方の土地を借りました。

親方は言いました。

「この4本分だけだよ」

僕は、「わかった」と返事をしながら思いました。

おまえ、なんで4本なんだよぉ!別にいいだろ!おまえ何もしないじゃーん!なんなんだよ!何を指定してるんだよ!なんで指定するんだよぉ!

というわけで、がんばれば7本くらい畝を作れるのに、4本分の畝を作っているというわけなんです。

まぁ、60メートル分くらいの畝をゲット出来たんけだから、良しとするのです。


親方から借りた土地を耕しながら思うのです。僕は思うのです。

なんで、何もしない、一年に一回、ジャガイモしか植えない親方が「こっち」で、ほぼほぼ毎日畑に繰り出すおれが「あっち」なんだ?おれが「こっち」じゃダメなのか?なんでだ?

それは、二年前までの二年間、毎日思っていたことなんだけど。そういうのが積み重なって、この土地から逃げ出したというわかなんだけど。

やはり、そういう状況になると、「やってられるか!」と思ってしまったりするわけなんです。そういのって、たぶん、人の性なんです。

でも、僕は出戻りなわけで、ほかに土地がないわけで、大豆と落花生と小豆を育てなければならないわけで・・・。

そして、行き着く先は、ポジティブシンキング。

「水分が多いってことは、水遣りをしなくていいんだもんなぁ。楽チンだなぁ。あぁ、おれはなんてラッキーなんだろう。ランランラン」


僕の側の畑の二本の畝は、立て掛けのまま頓挫している。泥んこ沼地みたいになっているので、長靴で入ると足首まで埋まる。抜けなくなる。

その畝が視界に入るたびに、心が萎えそうになる。

でも、やっぱり、大事なのは、ポジティブシンキング。

「ランランラン・・・ランランラン・・・」

なんで、おれが、「こっち」なんだ?

日付が変わったら、コロンコロン小鉢を作ろう。

2019-07-12 23:02:38 | Weblog


ファミマのチーズケーキフラッペ。
まだ売ってた。もう無いって聞いたんだけど、まだあったよ。

またブログを書いている。

なぜか?

陶芸をやりたくないから。いや、やりたくないわけではない。どちらかというと、やりたい。やらなければ、あとで追い詰められるのは自分だから、どちらかというと、結構やりたい。でも、やらない。なぜか?病気だから。どういう病気か?「やらなければいけないことを、先延ばしにする病」。「あぁぁぁぁぁぁ!」


うちの近所で、新しく農業を始めた人がいる。ほうれん草農家。らしい。

50メートル級のビニールハウスを11棟。かなりの規模で始めた。初期投資がすさまじい。

町の広報にも載っていた。我が町の農業振興事業的な研修を受けたりして、ほうれん草の年六回の収穫出荷のノウハウを学び・・・的な、感じで、的な。

ほぼほぼ毎日通る道なので、見かけるたびに「頑張ってるなぁ」とか、「頑張ってね」とか、思っているのであります。

三日くらい前のことなんだけどね。
畑からの帰り道、ほうれん草農家のビニールハウスの横を通った。

ビニールハウスの前に人影。その人影は、ほうれん草農家の主だと思われる。
なぜ思われる、なのか?
その人影は、上から下まで、防護服に包まれていたから、誰かわからないのである。
目にはゴーグル。口と鼻にはガスマスク。肌の露出ゼロ。完全防備。まるで、放射能漏れの原発の中へ突入する作業員時見紛うほどの装備。。。

「農薬・・・撒くのか・・・」

よくはわからないけれど、ビニールハウスの中のほうれん草に農薬を散布するのだと思われる。密室の中の作業だから、それくらいの装備は必要なのだね。

「こっわー!」とね、僕は叫ぶよね。

ガスマスクを付けて撒いた農薬を浴びたほうれん草。虫はつかないかもしれないが・・・。綺麗な形をしたほうれん草なのかもしれないが・・・。

おれ、ほうれん草、食べないの。
なぜか?
おれ、結石持ちだから。
ほうれん草のシュウ酸は、結石の原因になるんだって。
だから、ほうれん草は食べないの。

でも、それとは関係なく、毒ガスマスクの農薬散布を目の当たりにしてしまうと、ほうれん草は無理だなぁ・・・と思ってしまう。

どうなんだろうで・・・この世界は・・・と思ってしまう。
国が言う安全な農薬は、本当に安全なのだろうか?
農林水産省が言う、安全な農薬の基準は、本当に安全な基準なのだろうか?

毒ガスマスクを付けて、ほうれん草を出荷するあの人は、自分の子供に、自分のほうれん草を食べさせるのだろうか?自分の子供が赤ん坊だったとして、たとえばその赤ん坊の離乳食に、自分のほうれん草をペーストにしたものを食べさせたりするのだろうか?

それとも、自分の赤ん坊には、自分のほうれん草は食べさせないのだろうか?そのほうれん草は、スーパーマーケットに出荷して自分の生計を立てるためのものなだけで、自分や自分の家族は決して口にしなかったりするのだろうか?

よく耳にすることがある。
農家の人が言っている。と耳にする。本当かどうか、僕は知らない。

出荷する野菜には農薬を使うが、自分たちの食べる野菜には農薬は使わない。だって、農薬は危ないから。

ほうれん草、食べますか?食べませんか?
そういうことを、僕は書きたいわけじゃない。
ほうれん草に限ったことではないのだから、そんなことを論じても仕方がないのである。

どうすんの?この世界。という話をしたい。

関係ないけど。
瓦屋の親方が言っていた。

現場の近くに畑があって、その畑におじいちゃんが毎日来るのだそうだ。
何をしに来るのかというと、野菜にフマキラーを散布しにやって来るのだという。スプレー式のフマキラーを野菜に振り撒いて、帰って行くのだという。それを毎日繰り返しているのだという。

・・・フマキラー浸透野菜。

フマキラー野菜を食べても、おじいちゃんは死なない。

人間は、どこまで丈夫なのか・・・。もしかしたら、すごく丈夫なのかもしれないね。

さて、どうしようか?この世界。そんな話を、僕はしたい。


嵐山の空。

2019-07-12 22:48:04 | Weblog


嵐山畑から見える空。北海道の空みたいだ。道東の空。

陶芸をやらねばならぬ。十日で30作品くらいは作らねばならぬ。

やらなければならないことがあると、ついつい逃げたくなる性格でありまして。困って性格でありまして。病的な性格でありまして。

陶芸をやらねばならぬので、今日は畑は禁止ということにしまして。
でも、陶芸をやらねばならないから、陶芸はやりたくないから、庭の掃除を始めたりして、鎌で草を刈ったりして、片付けを本気でしたりして。

全然、陶芸をやらない。

これじゃダメだ!と、一念発起。庭の陶芸アトリエの掃除を始めたりして。だいぶ前に250円で買ってきた大きなテーブルを設置するために、アトリエの模様替えを始めたりして。

全然、陶芸をやらない。

アトリエが綺麗になったので、さぁやるか!とね。いよいよ、やるか!とね。

月曜日に作った鉢植えの裏側をガリガリと削り始めてね。一個出来た。陶芸、一個出来た。

30個くらい作らなきゃいけないんだけど、一個出来たから、「ちょっと畑へ行ってくるかな」とね。今日は畑は禁止の日なんだけれど、ちょっとだけ行ってくるかな。とね。

「よし、畑から帰ってきたら、陶芸やるぞ!絶対!」とね。

暗くなるまで畑にいてね。帰ってきてね。4時間くらい経つんだけどね。全然、陶芸、やらない。

「やらないじゃーん!」

もう、これは、病気なわけでね。ほんとに。

ギターの練習をしなければならない時とか、そういう時は、陶芸ばかりやっていたりするわけ。
旅の準備をしなければいけない時は、読書に夢中になったりするわけ。

うん、病気なの。精神異常ね。

さぁ、今日は畑でたくさん収穫をしてきたからな・・・料理でもするかな。

「全然、陶芸、やらないじゃーん!」

やるってば。料理が終わったらね。

さらば、ジャッキー!

2019-07-06 08:03:59 | Weblog


たとえば、昨日は、草むしりをしていた。
しゃがんで草むしりをしていると、膝がやられる。ひどくやられる。20キロも歩ける膝なのに、草むしりには敵わない。
聞き手が右なので、主に右手で雑草を掴んで抜く。一日中雑草を掴んで抜いていると、夕方には握力がなくなって、弱い雑草さえ掴めなくなる。

たとえば、昨夜は2時半に寝て、今朝は5時半に起きて、小雨の中、もう一つの畑を見に来た。二週間ぶりの畑は、どこが畝なのか、どこが通路なのか・・・。ドイヒーな状態。

ちょっと見に来ただけなのに、小雨の中、しゃがんで、芽が出たばかりの小豆の畝の草むしりを始めてしまうのである。

草むしりが、こんなに辛いとは・・・知ってたけど、いつも忘れるから、やっぱり知らなかった。ほんとは知ってたけど、やっぱり知らなかった。

そんなことはどうでもよくて。

ジャッキーチェンのニュースを読んだ。

香港のデモが取り沙汰されている昨今。香港のリベラルと中国の共産党との争いだと僕は見ているのだが。ちなみに、僕は、リベラル派を支持。

ジャッキーチェンは、中国共産党の広告塔の様な存在になっていて、事あるごとにそういう発言を繰り返しているという記事を読んだ。

香港と中国共産党の争いというのは、台湾と中国の争いに通ずるものがあって、そういう意味でも、僕は香港のリベラルを支持するというわけ。

だから、もう、ジャッキーチェンなんて嫌いだ。「ジャッキーチェンの映画は二度と見ないぞ」と心に誓ったのであります。

そんなわけなんだけどね。
草むしりをしながら、歌ってしまっているわけなんです。
そう。あのジャッキーチェンの映画の香港っぽい歌を。わかる?あの歌。

ちゃんちゃちゃーら、ちゃんちゃちゃーら、ちゃーら。

って歌。

ずっと。気がつくと、ずっと。

歌ってしまうのです。

もう嫌なのです。

うん。そういう話。

さぁ、草むしりの続きをしよう。

爆成長。

2019-07-05 11:18:16 | Weblog


40センチくらい・・・あるんじゃないの?

今年はキュウリがいい。

なぜか知らないが、キュウリを育てるのがヘタクソで、毎年、あまり採れない。ははは。なんでだ?
なのに、今年はいい。真っ直ぐなキュウリがたくさん成ってる。

そして、それが不在の間に40センチになる・・・と。30本くらい。どうやって食うんだ?こんなに。

隣の畑のオオホリジージがやって来て僕に言う。

「にーちゃんのキュウリはなんでこんなに真っ直ぐなんだ?おれのはCの形に曲がっちまうぞ」

そんなことは知らないよ。今年のキュウリは真っ直ぐなだけ。何をしたわけでもない。

しかし、時間が経つのが速い。速すぎる。・・・もっともっと時間が欲しい。

そんなことを思いながら、二週間で成長した作物と、それ以上に爆発的に成長した雑草との戦いに挑んでいるのであります。

そろそろ帰ろう、ライオンくん。

2019-07-04 12:20:30 | Weblog


去年の秋は、「玉ねぎを植えなきゃ」とつぶやいて北海道の大地を後にした。

いつまでもここに居られるわけでもない。今、僕はこうつぶやく。「あっ、そろそろ大豆の種の蒔き時だ」。

ライオンくん、そろそろ出発の時間だ。

あぁ、楽しかったな。

毎日、色々な風景を見て過ごした。

日本の天候のせいなのか?
飛行機が遅れているみたいだ。

今日中に我が家へ到着できるのだろうか?

まぁ、そんなことはどうでもいいのだけれど。

ライオンくんライオンくん、僕らは幸せだな。

この身一つで、何処へだって行けるのだから。
この脚が動く限り、何処へだって行けるのだから。

繁華街のど真ん中にて。3

2019-07-04 02:27:00 | Weblog


光る竹とんぼ、欲しいなぁ。。。

でもなぁ、どうせ、すぐ壊れるよなぁ。

でも、欲しいなぁ。光る竹とんぼ。

どうするっかなぁ。


と思っていたら、異国の昭和くんが見当たらない。

異国の昭和くんがどこかへ行ってしまった。

仕方がない。と僕は立ち上がる。異国の昭和くんを追って、光る竹とんぼを手に入れなければ。

異国の昭和くんが被った帽子が人混みの中、遠くに見える。

どこへ行くんだ?昭和くん。

そして、僕は、異国の昭和くんを見失う。

と思ったら、居た。別の人だかりのある場所で、光る竹とんぼを飛ばしていた。

この国では英語が通じない。
そうなると、もう英語なんて喋っても意味がない。そうなると、もう、日本語だけで喋る。

僕は異国の昭和くんの肩を叩いて話しかけた。

「ねぇ、おじい!それ、すごいな」

異国の昭和くんはキョトンとしている。

「ねぇ、おじい!それいくら?」

異国の昭和くんは、100ドルだと言った。
そう、僕が350円までなら出すといったのは100ドルのこと。値段が見事にマッチした。

「ねぇ、おじい、おれ、それ、買う。くれ」

そして僕はさらに言った。

「ねぇ、おじい、飛ばし方を教えてくれ」


異国の昭和くんは、持っていた光る竹とんぼの説明をしてくれた。

原理はパチンコ。ゴムで竹とんぼを上空へ飛ばす。なるはど・・・パチンコね。
異国の昭和くんが僕に説明をしながらゴムを伸ばして手を離す。

そしたら、光る竹とんぼが横に飛んで、通行人の青年の顔にバチコーンとヒットした。

うげーーー!とね。

急に横から竹とんぼにアタックされた青年の気持ち・・・。嘘だろ?ってね。

この国の人たちは優しい。

「大丈夫大丈夫」と言って去っていった。隣にいた友人は爆笑していた。

おいおい、大丈夫か?光る竹とんぼ・・・と僕は思った。

青年の顔にヒットした竹とんぼは壊れてしまった。
おいおい大丈夫か?と僕は思った。

異国の昭和くんは、新しい光る竹とんぼを、腰にぶら下げたビニール袋から取り出して、飛ばし方を教えてくれた。今度は控えめに、10メートルくらい、上空に向けて飛ばしてくれた。

また壊れたら嫌なので、もうその辺でいいよと僕は思った。

家に帰ったら、畑で練習しよう。

ホントにすごいんだよ。光る竹とんぼ。見えなくなるくらい高く上がるんだからさ。

たぶん、すぐに壊れるけど。飛ばす前に壊れるかもしれないけど。

ホントにすごいんだよ、光る竹とんぼ。

繁華街のど真ん中にて。

さよなら、異国の昭和くん。また会おうね。