上映中につき重要なネタばれはありません。が小ネタばれあり。
riekさんに背中を押され、踏みとどまって様子を見ていた矢先にhedgehogさんにまた押されて足が前に出ました。
チラシの裏:クリックで拡大します
吉祥寺バウスシアターとはカルト映画も上映する都内でも希少となった劇場で、この作品を最後に閉館とのこと。今回の上映のためのチラシと復刻ポスターには、主役の二人が並んでうつろに腰掛けていて、そのふたりの間に縦書きで日本語のコピーが入っていますー「僕らは時代の終わりにいるんだ」。映画の物語の時代は1969年で60年代という時代の終わり、そして、バウスシアターが単館として終わる、映画は家庭やシネコンで見る時代になった、という2つの終わりがこのコピーに込められているのですね。
この映画の写真を検索すると、人相の悪い若者と太ったおじさんばかりで踏みとどまってしまったのですが、見てみたいと思ったのは「69年のロンドン/カムデンの青春」という切り口でした。60年代のロンドンと言えば一般には「スィンギング・ロンドン」とポップな若者文化のイメージなのに、この映画では若者もその恩恵を受けてなさそうなダレ具合。だけど69年と言えば私の憧れの70年代の1歩手前だし60年代にはENDAVOURにて今どっぷりと溺れているし、カムデンは私が初めてロンドンへ行った80年代にはすでに商業化された若者の町だったから、その前身を見たい気もする、と一大決心をして西東京を目差したのです。
主役のふたりは売れない俳優なので、容姿は身だしなみを整えればふたりともハンサムなのに、貧乏、せっかくの失業手当も酒とドラッグにつぎ込んでるもんだから、目は血走って髪も伸び放題、売れない心理的ストレスが顔に全身に蔓延するすさみ具合です。だから写真で見るとダメなんですが、イギリス映画なので、すさんだ無表情のまま偉そうなこと言ったりやったりしてるんです。台詞と動きがあってこそです。
ふたりがシェアするカムデンのフラットは、汚れた食器もため放題、ドラッグ商人の恐い友達が当たり前のように居座る。他の青春映画だったら、そんなヒッピーな暮しを美化してると思うけど、そこはやはり「ウィズネイルが30歳」ってことで「こんなこといつまでもやってられない」と分かってるのが辛い。週末だけでも田舎に逃避するために訪ねたウィズネイルのモンティおじさんちは、フラットと正反対の保守的にこてこて花柄で全ての面積が埋められた居間。このモンティおじさんが、ハリーのバーノンおじさんよりもちょっと若い頃のリチャード・グリフィスでかわいかったです。
ロケ地ガイドがあったので参考まで→
僕の方の演劇キャリアは不明だけど、ウィズネイルは演劇学校を出たプライドがある。そして彼はモンティおじさんの血をひいてるらしくおじさんもまた若い頃俳優をしていたのです。ふたりがおじさんの家を訪ねた時の3人の会話にも、そして物語のずっと後にもシェイクスピアが出て来て、この映画を見る前に、いくつかのシェイクスピア劇を映画とはいえ見ておいて、そしてにわか映画/演劇ファンとして、イギリスの演劇と学校の伝統、シェイクスピアの神のような存在感を齧り知っておいてヨカッタ!と思いました。
たぶん俳優志望ってことで会話のスノッブさが私が見たことあるロックな青春映画と違うのでしょうか。さっき書いた年齢のこととは別に、ロックな人生は落ちてもロックだけど、俳優は役が、主役がとれなくては俳優じゃない。しかも、ロックだったら伝統文化や保守に対するカウンターカルチャーとしてのアイデンティティがあるけれど、演劇はそれ自体が伝統文化という違いもあり、田舎のティールームで不良チンピラ扱いされて注文を断られるシーンが出て来るのですが、それは屈辱なんですね。
スノッブな車のチョイス、かわいいな~と思ったら、ジャグアーでした。
たぶん、世界1のポンコツジャグアー
イギリス映画らしくエキセントリックな人ばかり出て来るけど、その他イギリス的だと私が思ったもの
汚いフラット/シャワーカーテンのないお風呂(つまりシャワーがない)
昔の水タンクが上についたトイレ
DIYで作った本棚
洗った食器を置くワイヤーラック
風景画や肖像画
パブ
揚げたソーセージ&チップス
モンティおじさんの居間の窓の形
ボロ車
田舎/荒野、羊、コテージ、暖炉、狩猟、ゲーム料理
田舎町のティー・ルームと老人
雨
可愛い制服の女学生
延々と支給される失業手当
(ここから先、個人的な思い出なのでスルーされても可です・・・
実は私、自分の体験がこの映画を見ながら思い出されてなりませんでした。しかし、いくら私でも69年のロンドンを知るはずもなく、チラシの裏を読んで納得、製作は87年なので、その頃のロンドンならばほんの少し知っているのです。
とは言ってもこの映画の製作者達の年代の人はさすがに知りませんでしたが、当時私の年代の若者には、ネオ・ヒッピーとかニューエイジとか言われる人達がいました。私の友人はオーストラリアやインド、インドネシアあたりを放浪して、ケンブリッジでインドネシアの木彫りの置物を売って滞在し、ロンドンに戻りイギリス人のボーイフレンドと結婚して新しいフラットに引っ越したと言うので私は彼らを訪ねて遊びに行ったんです。
はるばる日本から着くと、新婚のはずの家には先客がいて、インドの洞窟に住んでたという髭もじゃヒッピーなイギリス人があぐらをかいてる。フラットは狭いながらもキッチンは寝室とは別についてはいる、いわゆる1ベッド・フラットと言う日本風に言えば1Kという造りなのに、どうやらそのヒッピーもお泊まりの客だということが判明しました。本当に泊まっていいと確認しても半信半疑のまま夜もふけ、ついに寝る時間になって私にあてがわれたのはキャンプ用のベッドでした。
カマボコを逆さにしたような形の、ワイヤーで帆布を支える仕組みの簡易ベッドです。つまり敷き布団に当たる部分はキャンバス布1枚、これをキッチンに配置。他の3人は寝室の方で、ヒッピーは床に寝るようなのでベッドをもらった私は文句言えません。その1枚布の敷き布団に、掛け布団は毛布1枚。何月だったか覚えてないけど(当然冬ではない)夜は毛布1枚では寒くて眠れません。ふと50cm先のオーブンが目にとまり、それに火をつけフタを開けて暖をとることにしました。少したってキッチンに来た友人が、それは危ないと、私の寒さの訴えを聞き、毛布をもう1枚貸してくれました。今思うと夜に火をつけたまま寝るのは当然危ないのですが、非日常的なヒッピーとの雑魚寝とあまりにも簡素なベッドで私の常識はぶっ飛んでいたのだと思います。
その時泊めてくれた友人夫妻はその後日本にも来て、彼らのそのまた友人も一緒だったのですが、その友人は金髪のドレッドヘアなもんで、どこにいても目立つ。そんな成りで彼は夜中の東京を自転車に乗って警察に止められたのです。(東京では夜中に自転車に乗ってる外国人はやたらと警察に止められます。)そしてドラッグ所持で刑務所に入れられ1年をそこで過ごすはめとなりました。彼が東京嫌いになったのは仕方ありませんが、自業自得とは思ってないのがイギリス人。
とまあ、そういう胡散臭いロンドンや東京のイギリス人体験&その他があるので、「ウィズネイルと僕」に出て来るドラッグ売りの兄さんがすごーく恐かったです。それでね、ドラッグ売りの兄さんの友人にヒッピーな黒人というのが出て来るんですけど、80年代にはヒッピーな白人コニュニティに混ざったエスニックな存在は私達日本人だったんです。なので映画の中でその黒人の役割はカオスを体現してたと思うんですが、我が身を振りかえさせられるような気持ちになりました。
また例によってそれた話が長くなってしまいましたが、サッチャー以前の60年代でも以後の80年代でも、まだ働かない人間が最低限度の暮しはできて、そのボロボロの暮しのままでもそういう人があまりに多くて、日本の失業者のように自殺するほど世間に顔向けできなくはなかったのです。そんな郷愁も感じます。
90年代以降のインフレとバブルでボロボロの人が減りました。でもそれは決して働いて得る収入が増えたわけではなくて、賃金収入もなく政府の手当で暮らしてる人までが、クレジットカードを複数使えるので返せる当てもないのに分割払いで高額商品が買えるせいです。今世紀のロンドンの若者の暴動の話を聞くと、確かに大変なんだろうけど、求める生活水準が80年代までとは違うんじゃないの?とも思う私も、「ウィズネイルと僕」を作った監督・脚本のブルース・ロビンソンのように自分の青春時代を振り返ってるのかなとちょっぴり切ない・・・
トムヒ王子の好きなカルト映画と知ったら、王室御用達のマークをもらったようなありがたみを感じた。俳優さんはみな好きなのかもしれませんね。
riekさんに背中を押され、踏みとどまって様子を見ていた矢先にhedgehogさんにまた押されて足が前に出ました。
チラシの裏:クリックで拡大します
吉祥寺バウスシアターとはカルト映画も上映する都内でも希少となった劇場で、この作品を最後に閉館とのこと。今回の上映のためのチラシと復刻ポスターには、主役の二人が並んでうつろに腰掛けていて、そのふたりの間に縦書きで日本語のコピーが入っていますー「僕らは時代の終わりにいるんだ」。映画の物語の時代は1969年で60年代という時代の終わり、そして、バウスシアターが単館として終わる、映画は家庭やシネコンで見る時代になった、という2つの終わりがこのコピーに込められているのですね。
この映画の写真を検索すると、人相の悪い若者と太ったおじさんばかりで踏みとどまってしまったのですが、見てみたいと思ったのは「69年のロンドン/カムデンの青春」という切り口でした。60年代のロンドンと言えば一般には「スィンギング・ロンドン」とポップな若者文化のイメージなのに、この映画では若者もその恩恵を受けてなさそうなダレ具合。だけど69年と言えば私の憧れの70年代の1歩手前だし60年代にはENDAVOURにて今どっぷりと溺れているし、カムデンは私が初めてロンドンへ行った80年代にはすでに商業化された若者の町だったから、その前身を見たい気もする、と一大決心をして西東京を目差したのです。
主役のふたりは売れない俳優なので、容姿は身だしなみを整えればふたりともハンサムなのに、貧乏、せっかくの失業手当も酒とドラッグにつぎ込んでるもんだから、目は血走って髪も伸び放題、売れない心理的ストレスが顔に全身に蔓延するすさみ具合です。だから写真で見るとダメなんですが、イギリス映画なので、すさんだ無表情のまま偉そうなこと言ったりやったりしてるんです。台詞と動きがあってこそです。
ふたりがシェアするカムデンのフラットは、汚れた食器もため放題、ドラッグ商人の恐い友達が当たり前のように居座る。他の青春映画だったら、そんなヒッピーな暮しを美化してると思うけど、そこはやはり「ウィズネイルが30歳」ってことで「こんなこといつまでもやってられない」と分かってるのが辛い。週末だけでも田舎に逃避するために訪ねたウィズネイルのモンティおじさんちは、フラットと正反対の保守的にこてこて花柄で全ての面積が埋められた居間。このモンティおじさんが、ハリーのバーノンおじさんよりもちょっと若い頃のリチャード・グリフィスでかわいかったです。
ロケ地ガイドがあったので参考まで→
僕の方の演劇キャリアは不明だけど、ウィズネイルは演劇学校を出たプライドがある。そして彼はモンティおじさんの血をひいてるらしくおじさんもまた若い頃俳優をしていたのです。ふたりがおじさんの家を訪ねた時の3人の会話にも、そして物語のずっと後にもシェイクスピアが出て来て、この映画を見る前に、いくつかのシェイクスピア劇を映画とはいえ見ておいて、そしてにわか映画/演劇ファンとして、イギリスの演劇と学校の伝統、シェイクスピアの神のような存在感を齧り知っておいてヨカッタ!と思いました。
たぶん俳優志望ってことで会話のスノッブさが私が見たことあるロックな青春映画と違うのでしょうか。さっき書いた年齢のこととは別に、ロックな人生は落ちてもロックだけど、俳優は役が、主役がとれなくては俳優じゃない。しかも、ロックだったら伝統文化や保守に対するカウンターカルチャーとしてのアイデンティティがあるけれど、演劇はそれ自体が伝統文化という違いもあり、田舎のティールームで不良チンピラ扱いされて注文を断られるシーンが出て来るのですが、それは屈辱なんですね。
スノッブな車のチョイス、かわいいな~と思ったら、ジャグアーでした。
たぶん、世界1のポンコツジャグアー
イギリス映画らしくエキセントリックな人ばかり出て来るけど、その他イギリス的だと私が思ったもの
汚いフラット/シャワーカーテンのないお風呂(つまりシャワーがない)
昔の水タンクが上についたトイレ
DIYで作った本棚
洗った食器を置くワイヤーラック
風景画や肖像画
パブ
揚げたソーセージ&チップス
モンティおじさんの居間の窓の形
ボロ車
田舎/荒野、羊、コテージ、暖炉、狩猟、ゲーム料理
田舎町のティー・ルームと老人
雨
可愛い制服の女学生
延々と支給される失業手当
(ここから先、個人的な思い出なのでスルーされても可です・・・
実は私、自分の体験がこの映画を見ながら思い出されてなりませんでした。しかし、いくら私でも69年のロンドンを知るはずもなく、チラシの裏を読んで納得、製作は87年なので、その頃のロンドンならばほんの少し知っているのです。
とは言ってもこの映画の製作者達の年代の人はさすがに知りませんでしたが、当時私の年代の若者には、ネオ・ヒッピーとかニューエイジとか言われる人達がいました。私の友人はオーストラリアやインド、インドネシアあたりを放浪して、ケンブリッジでインドネシアの木彫りの置物を売って滞在し、ロンドンに戻りイギリス人のボーイフレンドと結婚して新しいフラットに引っ越したと言うので私は彼らを訪ねて遊びに行ったんです。
はるばる日本から着くと、新婚のはずの家には先客がいて、インドの洞窟に住んでたという髭もじゃヒッピーなイギリス人があぐらをかいてる。フラットは狭いながらもキッチンは寝室とは別についてはいる、いわゆる1ベッド・フラットと言う日本風に言えば1Kという造りなのに、どうやらそのヒッピーもお泊まりの客だということが判明しました。本当に泊まっていいと確認しても半信半疑のまま夜もふけ、ついに寝る時間になって私にあてがわれたのはキャンプ用のベッドでした。
カマボコを逆さにしたような形の、ワイヤーで帆布を支える仕組みの簡易ベッドです。つまり敷き布団に当たる部分はキャンバス布1枚、これをキッチンに配置。他の3人は寝室の方で、ヒッピーは床に寝るようなのでベッドをもらった私は文句言えません。その1枚布の敷き布団に、掛け布団は毛布1枚。何月だったか覚えてないけど(当然冬ではない)夜は毛布1枚では寒くて眠れません。ふと50cm先のオーブンが目にとまり、それに火をつけフタを開けて暖をとることにしました。少したってキッチンに来た友人が、それは危ないと、私の寒さの訴えを聞き、毛布をもう1枚貸してくれました。今思うと夜に火をつけたまま寝るのは当然危ないのですが、非日常的なヒッピーとの雑魚寝とあまりにも簡素なベッドで私の常識はぶっ飛んでいたのだと思います。
その時泊めてくれた友人夫妻はその後日本にも来て、彼らのそのまた友人も一緒だったのですが、その友人は金髪のドレッドヘアなもんで、どこにいても目立つ。そんな成りで彼は夜中の東京を自転車に乗って警察に止められたのです。(東京では夜中に自転車に乗ってる外国人はやたらと警察に止められます。)そしてドラッグ所持で刑務所に入れられ1年をそこで過ごすはめとなりました。彼が東京嫌いになったのは仕方ありませんが、自業自得とは思ってないのがイギリス人。
とまあ、そういう胡散臭いロンドンや東京のイギリス人体験&その他があるので、「ウィズネイルと僕」に出て来るドラッグ売りの兄さんがすごーく恐かったです。それでね、ドラッグ売りの兄さんの友人にヒッピーな黒人というのが出て来るんですけど、80年代にはヒッピーな白人コニュニティに混ざったエスニックな存在は私達日本人だったんです。なので映画の中でその黒人の役割はカオスを体現してたと思うんですが、我が身を振りかえさせられるような気持ちになりました。
また例によってそれた話が長くなってしまいましたが、サッチャー以前の60年代でも以後の80年代でも、まだ働かない人間が最低限度の暮しはできて、そのボロボロの暮しのままでもそういう人があまりに多くて、日本の失業者のように自殺するほど世間に顔向けできなくはなかったのです。そんな郷愁も感じます。
90年代以降のインフレとバブルでボロボロの人が減りました。でもそれは決して働いて得る収入が増えたわけではなくて、賃金収入もなく政府の手当で暮らしてる人までが、クレジットカードを複数使えるので返せる当てもないのに分割払いで高額商品が買えるせいです。今世紀のロンドンの若者の暴動の話を聞くと、確かに大変なんだろうけど、求める生活水準が80年代までとは違うんじゃないの?とも思う私も、「ウィズネイルと僕」を作った監督・脚本のブルース・ロビンソンのように自分の青春時代を振り返ってるのかなとちょっぴり切ない・・・
トムヒ王子の好きなカルト映画と知ったら、王室御用達のマークをもらったようなありがたみを感じた。俳優さんはみな好きなのかもしれませんね。