今度はディズニーの方のプーを見に行きました。
「グッバイ・クリストファー・ロビン」の方に個人的には深い思い入れがすでにできてしまったので公平な目で見比べることができませんが、こちらは伝記と比べて完全に仮想世界なのがよ〜くわかりました!
なぜって、ユアンのクリストファーの世界では「プーさん」というキャラクターの絵本は存在せず、クリストファーの少年時代にぬいぐるみたちが生きているという設定だからです。しかもそのぬいぐるみたちは彼にだけ見えるというわけでもなく、動いて喋っているのが見つかったらタイヘンという・・・クリストファーの奥さんや娘のマデリンは喋るぬいぐるみを見て驚くもののすぐに受け入れるという、映画が絵本仕立てになってましたが、まさしく絵本の続編という形なのですね。
お話としては娘が出てきて、かつてのクリストファーのような古き良きいかにもイギリスな子供服を着て、両手にぬいぐるみたちを抱えてロンドンに行く姿がよかったです。自然に汽車の中でもプーたちとティーパーティーをやるのも素敵でした。やっぱり自分が女の子だったからお話に出てくる冒険する女の子は応援してしまいます。自分もああいうことが子供の時にしたかったです。
この映画はこの映画でちゃんとオチがあり、悪い大人のゲイティスさんジャイルズさんがクリストファーの斬新な意見を経営者が受け入れたことによって大人の悪の代表としてやっつけられてみんながハッピーになり、クリストファーは子供時代の友達と自分の妻子と共存できるとう、大人にとってのハッピーエンドになってめでたし、めでたし。
これは、フィクションですから!
ということがわかっていても、どうしても頭に浮かんでしまうのが作者のA.A.ミルンと息子クリストファー・ロビンの人生です。
私は思い込みが激しいタイプなのです。
町山智浩さんによると、実際にクリストファーには娘が生まれますが、障害のある子だったということでこの映画のように元気に動き回れる子ではなかったとのことです。
(これも町山さんの解説によりますが)クリストファーは実の母親とも良い関係が築けず、母方の従姉妹と結婚したのですがそれも母に反対されたらしいです。
それよりも何よりも、実際にはプーがベストセラーになったために、A.A.ミルンと息子クリストファー・ロビンの個人の人生は辛いものになってしまったのでした。クリストファーは自分の人生を本によって搾取されたと感じ、印税を一切受け取らなかったとのこと。そして父は自分を有名になるために利用したとずっと苦しむのですが、随分あとになってからA.A.ミルンの残した手紙が出版物として発表された時、初めて父が自分をとてもとても愛していたことを知り亡くなった父と和解するのです。
しかしながら、「グッバイ・クリストファー・ロビン」を見てわかることは、クリストファーの父母がいなければプーは生まれておらず、ハロッズのクマのぬいぐるみを買ったのは母だし、最初にクマの声を当てたのも母、のちには父と息子の世界でプーの物語は合作され、複数のぬいぐるみに自己投影することにより父の戦争後遺症の治療ともなったのでした。
それからWikiによれば、プーの権利は分割されミルン家の分はA.A.ミルンの死後、妻が友人に売却、その友人の妻が彼の死後にウォルト・ディズニーに売ったという経緯をたどっています。そのためディズニーがアニメ映画を製作、キャラクターグッズを販売したわけです。
それを知ってしまって以来、ミルンの魂は今いずこ・・・な気持ちになるのですが、なんと現在でもプーの版権問題はすっきりと解決していないそうで、ディズニーは法的に正当にプーの物語を作り続けられるのでしょうけれど、
私たちはそれを楽しみつつも、ミルンとクリストファー・ロビンの人生のことも知っておくのがプーに対する、原作に対する礼儀ではないかという気がするのです。