好きです・・・この映画。
大仕掛けなことはなく、いい本と、いい役者と・・・場面が繋がっていく。こういう映画って気持ちいい。
トム・マッカーシー監督 リチャード・ジェンキンス主演 2008年 アメリカ公開時にはたった4館で上映されただけだったが、その感動が人から人へと伝えられ最終的には270館で上映された。それがアカデミー賞にノミネートされるまでの結果を出した。
本当のヒットを飛ばした映画だった・・・。いい映画だと思うので、まだの方はぜひ一度観てほしい。
アメリカが抱える不法移民の問題を題材に取り上げている。この問題はそれまでは慣習的に見逃されていたものが、9・11以来厳しく見直されたことで複雑化したようです。法を厳しく扱うのはアメリカの国の事情として仕方がないことだろうが、それでも1+1=2とはいかないそれぞれが現実としている。個人の尊厳に対するジレンマや、そういうあり方に対する是非を声高に問うのではなく、アメリカ市民の生活の中で「よくあること」として描かれている。
主人公の大学教授のウオルター・ヴェイルは妻に先立たれ、すべてに無気力で、傍には「忙しいふり」をして暮らしてきた。それが、タレクとゼイナブというグリーンカードを持たない若いカップルが、彼のニューヨークの家の“Visitor”になって変化が起こる。彼らと部屋をシェアして暮らすうちに、タレクのたたくジャンべと呼ばれるドラムに惹かれ、自然とリズムをとるようになり、公園で若者達と一緒に演奏をし、ゼイナブの生活の糧である手作りアクセサリーの露店の店番をする。
さえない、生きることに何も興味を示さない、面白みのない様子から、少しずつ生き生きとしだすウオルターの変化が見事だ。
そういえばアカデミー賞の授賞式で「長年脇役をやってきた彼が、今日は主演者として・・・」というような紹介をされた人がいたように覚えている。リチャード・ジェンキンスのこの演技だったんだなあ・・・。
初めはほんの些細な誤解から当局に捕まったタレクのもとに、毎日のように面会に訪れるウオルター。日にちが経つうちに、いらつくタレクに安易にウオルターが口にした 「わかるよ」 それにタレクは反発する 「何がわかるんだ!」
そこからのリチャード・ジェンキンスとタレク役のハーズ・スレイマンがたまらなかった。火傷でもしたようにびくっとするウオルター。じっとタレクを見据え、自分が安易に言ってはいけない言葉を発してしまったことを理解したのを、その表情だけで感じさせてくれた。タレクも言いすぎだとは思っているが、それでもわかってくれと心をはじけさせる。口からでる思いと、心にあるウオルターへの思いが感じられて、凄かった。口に出した言葉以外のもので、その何倍も何倍もの気持ち、感情を伝えてくれた。
タレクの恋人ゼイナブ役のダナイ・ゲリラも素晴らしかったし、母親役のヒアム・アッバス、この人が秀逸だった。時間と苦労と、しわの一つ一つが人生で、それ全てが、背筋を伸ばして凛として、シャンと過ごして見せる母親を素敵に演じていた。年齢が重ならなければ備わらないという美しさだった。
「人間として、なんと私たちは無力なんだ」
理不尽な流れの中で、ウオルターがぶつけどころのない怒りを吐き出す。
原題は「The Visitor」 ウオルターの家のvisitor アメリカの国のvisitor
そんな二つのVisitが重ねられている。
ラストシーンで、ウオルターは手元に残されたタレクのジャンべを抱えて地下鉄の駅に出かける。彼がここしばらくの間に出会ったいくつかの出来事にまつわる地下鉄の駅。そこの椅子に座りこみ、ひたすらジャンべをたたく。
何もできなかったウオルターのできること。地下鉄の轟音の中、時にその音はかき消されるが、彼がやっていることは「ふり」ではない。
ものすごいラストシーンだと思う。
なんだか言葉が足りなくて、この映画の良さが伝わらない・・・再度お願いします。ぜひ一度、観て下さい。