昨日は、末っ子の「授業公開日」兼「学級PTA]兼「PTA総会」だった。
それに先立つことの先週初め、担任の先生から電話があった。
末っ子なんかしたかと思いドキッとしたが、この時期先生方を悩ます「クラス委員の依頼」だった。
「名簿の後ろから電話を入れています」と、おっしゃっていた。
そういえば、去年は当時JKだった次女の担任の先生から、同じように電話が入ったのを思い出した。
PTA会員となって16年、かなりの割合で擁護派に与していると考えている。
しかしPTAは、メンバーが気持ちをそろえることができてはじめて活発に動くことが出来ることもわかっている。
私は結果として、周りの方の賛同を得ることができにくくなり、次第に孤立し、集団からはみ出した―――と思っている。
一旦はみ出すと外側でどれだけ叫ぼうと、 意見をとりあげないという「組織の理論」も経験した。
そういう栄枯盛衰を体験して末っ子には悪いが、「学校」にも「PTA」にもあまり多くを期待しなくなった。
自論として、PTAは子どもの育ちのためにあるべきと考えている。
それが昨今のPTAは、前年通りの活動するという組織維持が目的になっているように見える。
真剣に活動されている方も多くいることも分かっている。 組織を動かすことがとても難しいことも分かっている。
だが4人の子どもの育ちの中には、そういえばあの時PTAはなにしてくれただろうという辛い出来事もあり、
そういう経験を重ね情けないことに、心がもうPTAのために動かない。
そのためせっかく頂いた電話だったが、 丁重にお断りした。
昨日学級PTAには知っている顔ばかり、この人たちならはっきり断るという4人だけが残った。
とうに決まっていると高をくくっていた委員はまだ決まっていなかったようで、どこでそういう情報を手に入れるのかそのため、
そういう悶着をさける他の親御さんたちは、授業参観も来なかったようだ。
これって、正しいPTAのありようだろうか?
PTAの活動が、親が子どもの学校での姿を垣間見る機会を奪っている。
屁理屈をこねれば、それだけでもうアウトと言えるのではないだろうか・・・?
子どものための活動をしていれば、自然と親はPTAに参加しようとするはずで、
それが避けられるというのは、やっていることが子どものためではないと感じられているのでしょう。
だとすれば、真摯に自戒し、活動を見直すべきと思います。
末っ子の担任の先生は学年主任も務める海千山千のやり手ですが、
気心知れた言いたい放題の無責任グループに突破口は見いだせず、
その場でやりそうなお母さんに電話までして見せる“強い母親”に負けた形で、
本来の“懇談会”になりました。
こうなればしめたもので、少人数だということもあって、じっくりと子どもの様子を話しあえるいい時間を持つことができました。
その中で、先生が言われていたのが、
「子どもの気質が変わってきたように、親御さんの気質も変わって、クラス単位の懇談会では何も出てこない。
これが個人面談だといろいろ出てくるので、自然消滅的に学級での懇談会が無くなっていった」
上の子どもたちの時には学年で開かれる学年PTAのほかに、学級単位で懇親会のようなものがあり、
担任の先生に我が子のクラスの様子を聞く機会があった。
だが今は、年度当初の1回を除いては全部学年単位のものしかなく、広い会場でまとめて行われるので全体に大味になり、
クラス単位のものはやらないのかと尋ねたら、こういう答えだった。
子育てが密室で行われいると感じ、ぞくぞくとした。 失敗が許されないと感じる親御さんが増えているのだろう。
世の中のありようが全部そうなんだもの、そういう風に流れる……だとしたら、余計にPTAという共同作業は成り立たないだろう。
携わる人の苦労が目に見える。 ああ、大変な時代だ……と思う。
親の一義は “心を育てる ” ことだろう。
その親の心が窮屈になっている・・・・・のびのびと子育てに向かえる、そんな日本になるといい。