近所にあった銭湯が廃業した。
このお風呂屋さんにはずいぶん世話になった。以前住んでいた古い家には内風呂がなかった。
思い切って引っ越しをするまでの10年余り、次々と生まれた子どもたちの風呂を全部ここで賄わせてもらった。
今振り返ると、内風呂が無くてよかったと感じる。
知る人がいない土地に一人移り住んですぐ始まった子育てに、否が応でも風呂に出かけなければいけない状況というのは、
その時は大変で、大変で、風呂が無いことをどれほど恨んだかしれない。
だが、その辛くて大変な毎日に
「見ててあげるからゆっくりつかっておいで」
「背中擦ってやるから、垢すりかしなさい」
と見ず知らずの私にやさしく声をかけてくださる・・・その気持ちに、何度も涙があふれた。
乳飲み子、幼子、ぞろぞろと並べて行くので、いろいろな失敗や迷惑をかけている。
強く言われることもあったが、
「気にするんでないよ、子どもなんてそんなものだから」と、いって下さる方が必ずいた。
父親と男湯に入るのを嫌がるようになり「一人で行く」といい出した長女。
当時まだ幼稚園だった次女を一緒に連れて行ってくれるのなら、お小遣いも50円アップするよとOKした。
通い慣れた道とはいえ子ども二人で銭湯に来る姉妹を、常連さん達は「えらいね」といって可愛がってくださった。
そういう常連さん達がいたからこそ、安心して子どもだけで通わせることができた。地域のコミュニケーションを銭湯で教えてもらった。
私はそうやって学んだが、次の人はどこで学ぶのだろうか?
だが、時代は移る。 世の中はそうやって新しくなっていくのだから、このやり方がすべてと凝り固まってはいけない。
当事者を卒業した私は、じっくりと見守ることをするべきだろうと感じている。