旦那がよく言う 「意味のある奴にしか意味はない」
禅問答のようなことだけれど、物事の価値のことを言っている。
旦那は大学生に文章の書き方を教えている。
必修科目になっているので、毎年、たくさんの若い人たちと遭遇する。
バカバカしいと投げ出してしまう学生、はなから自分には無理とあきらめてしまう学生。
授業に出てこなくなる学生さんが毎年何人かいるらしいが、そういう彼らに手こずって言う言葉が前出のものだ。
少し前に「ビックリマンシールの盗難」という事件があったのをご記憶にあるだろうか…?
「ビックリマンシール」 ロッテのチョコレートに入っているおまけのシールだ。
それがコレクターの中では1枚10万円で取引されるものがあるという。
驚かなくてどうする!! うちの子どもも手にしていた、あのおまけのシールに10万円!!!!
今週、ムンクの「叫び」がオークションにかけられるそうだ。
推定落札価格が60億円。 世界にたった4枚しかないという絵画だが、60億円!! ビックリだ!!
価値というものは人それぞれ違う、その対価を払っても手にいれたいと考える人がいれば
そのものの価値はそこにおいてその価値がある。
ビックリマンシールが10万円しようが、ムンクの叫びが60億だろうが、
そこにそういう価値があると認めた人がいるのだから、それはそれで納得できる。
知識も、そういうものなのかもしれない。
知識に意味や価値を認めている人には大切なものだが、認めていないものにはなあんにも意味も価値もない。
旦那が「本棚が欲しい」と前々から言っている。
今日も家具屋のチラシを指さし「7900円で買える」と物ほしそうに言った。
私は即座に却下した。
旦那の部屋は汚い。本が山積みにされていて整理ができないし、あまりの本の量に扉も開け閉めできないし、
掃除機も入らない・・・あの本はどこにと思っても探し出すことができない。 本棚が欲しくなる気持ちはよーく分かる。
でも、本の整理整頓は、本棚が無くても本来できるものだ。
旦那にはその気持ちがない。だから棚を用意しても部屋がきれいになることはない。
彼は本棚が無いから整理ができないと思い込んでいる。
私はそのうち棚が場所ふさぎになっていくだろうと想像している…で、大型家具の処分は、結構気持ちと手間がかかるもんなんだよと、
ため息をついている。(当然旦那がその処分を決めることはない)
これは長い付き合いの中で、何度も期待し裏切られてきたので間違いようのない想像だと踏んでいる。
「その本棚に入るだけであとは処分するというのなら、買っていいよ!」
一撃だ! 月にまわされてくる本屋の請求書の山、山、山。
あれをあきらめるはずがない。
確かに旦那に本は意味があるし、価値もある。 だが、本棚は絶対意味がないと確信している。
ちょっと、話が違う方向に進んでしまった。 本当にはなしたかったことは又別の機会に・・・。